第百七段(前半) ハートに火をつけて

文字数 1,874文字

 業平くんの、高校時代の話。

「モテなかった」
と本人はいまだに言いはってるのだが、それはおそらく
「思う人には思われず」
ってやつだろうと私は推測する。
 これにはたいてい
「思わぬ人に思われて」
がもれなくついてくるわけだが、彼の場合それが
「思う人以外の女子全員」
とかで、そうなるとみんな牽制しあって誰も彼に声をかけられない、みたいな? そんな状況だったのだろうと。おそらく。

「ちがうって」
「わあびっくりした。最近肩ごしにのぞくよね」
「ほんと井筒の買いかぶり。『女房の妬くほど亭主モテもせず』ってね」
「またまたー」
「ほんとだって」

 あー、でも、本当にそうなのかもしれない。
 家持さんとお話ししてて思ったけど(第百五段)、男子のほうが「無理めの女」「高嶺の花」に全員そろって殺到して玉砕する傾向がある。
 その点、女子は手堅い(もちろん個人差はあるけど)。「女は恋に生きる生き物」なんて思いこんでる世の偉い作家先生がたは、男性も女性もだけど、とにかく現実というものをご存じない。
 自分から無理めの男に当たって砕けるのは少数派(私とか私とか。ははは)。そういうのにかぎって「恋に生きる」以外とりえのない女だったりする(私とか私とか。はははは)。
 女子の大多数は、とくに高嶺の花姫たちは、
「憧れの彼より、愛してくれる彼」
的な? 理性をちゃんと働かせている。

 業平くん、あるとき、クラスのきれいめ女子の一人にラブレターの代筆を頼まれたのだそう。
「在原くん歌じょうずだから。ね、お願い、一生のお願い! ペプシおごる」
 一生のお願いのお礼がペプシって、それはあんたの一生のプライスなのかそれとも業平くんの一生のプライスなのかって話だが、とりあえず先へ進む。

 その女子くん、ある男子から告白されたのだが。
 その男子くんがクラス1勉強できてスポーツもできて性格もよい、しかも字もきれいというね、天が二物も四物も与えたパターンの素敵男子で、告られた彼女はすっかり舞い上がってしまった。
「へたなお返事できない。幻滅されちゃう。ヤバいヤバい」
 で、業平くんに「代筆して!」と泣きついてきたのだそう。

「下書きだけね」と業平くん。「清書はちゃんと自分でしろって言った」
「たしかに」と私。「筆跡違うとバレるよね」

 ちょうど梅雨時だったらしくて、男子くんがくれた歌が

「きみに会えなくてぼんやりしている日は、涙の川に袖が濡れるだけです」

 みたいな、みたいな! よくできた素敵なやつだったので、そのお返事に

「袖が濡れるだけ? あなたの涙川って浅いのね。
 全身濡れて流れちゃうくらい深ーい川なら、信じてあげる」

 というね! 倍返しに素敵なやつを業平くんが作ってあげたら、きれいめ女子ちゃん大喜びで大感謝だったそう。
「ペプシおごってくれた?」
「ビッグマック」
「よかったねー」
 こういうとき、女からの返し(返歌)は、少しツンデレてみせるのが歌のマナーなのであります。さすが業平くん、外さない男。

 ところが、話はここで終わらない。

 つきあい始めてしばらくしたら、彼が、淡白になってきた。

 男子あるある!
「釣った魚にえさはやらない」ってね。何なのよ、あたしたち女は魚ですかっていうの。
 他人の話なのに思わず手をげんこつにする私。

 ある日、彼が彼女にこんなこと言ってきたのだそう。
「会いに行きたいけど、今日は雨降りそうだね。
 ぼくが会いに行ったほうがいいってことなら、きっと雨降らないと思うんだけど」
 なんだそれは。そのふにゃふにゃは! ああん?
 天の神さまのせいにするな! 天が許してもあたしが許さーん!(怒)

「ひどくない?」
 涙目の彼女を見て、業平くんの《男気》に火が付いてしまった。
 ここはどうしてもスーパースペシャルレア(SSR)レベルの歌を一発お見舞いせねばならぬ、と思ったんだそう。

 で、彼女のゴーストライターとして、業平くんが詠んだ歌。

 数々に思ひ思はず 問ひがたみ
 身を知る雨は降りぞまされる

「私のことどれくらい好き?」なんて訊きたくても訊けなかったけど、
 思い知りました。雨が降りそうなだけで会いに来てもらえない程度だったのね。
 もう、心は、土砂降り。

 これ読んで、
 なんと彼、あわてて雨の中、傘もささずコートも着ずにずぶ濡れで会いに来たのだそう。やーん、素敵!

「いい話じゃないのー!
 おごってもらった? またビッグマック?」
「サイゼリヤで好きなもの食べほうだい。ドリンクバー付き」
「やったね!」
「ここで終わりならよかったんだけどね」
「え、まだ続きあるの?」
「うん」

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登場人物紹介

井筒(いづつ)

この物語の語り手。恋人の業平くんと熱愛中だという以外は詳細不明。とある事情で彼との関係は公表できないらしい。その秘密がしだいに明らかに!(大した秘密ではない)

業平くん(なりひらくん)

フルネーム:在原業平(ありわらのなりひら)。この物語の主人公。井筒の恋人。

超ベストセラー小説『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされるイケメンで、名だたる美女たちとのうわさが絶えないが、素顔は天然で井筒ひとすじ。

まったく出世・昇進できなくても気にしないマイペース男。和歌の天才。

有常くん(ありつねくん)

フルネーム:紀有常(きのありつね)。業平くんの親友。業平くんを介して井筒とも友だち。
業平くんと同じかそれ以上にマイペースでぶれない男。
史実および『伊勢物語』の世界観においては「井筒」にあたる女性の父親で、業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。むろん井筒のパパではない。

至くん(いたるくん)

フルネーム:源至(みなもとのいたる)。業平くんの悪友で彼以上の、というか無類の女好き。

史実および『伊勢物語』の世界観においては業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。
第三十九段限定のスペシャルゲストだったはずなのに、みょうにキャラが立ってしまったため、その後もときどき登場している。

高子さま(たかいこさま)

女御。帝の寵姫。絶世の美女で「二条の后(きさき)」と呼ばれる。過去に業平くんとの熱愛を報道され一大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は凛として知的。藤原家の期待を一身に背負って立つ。

恬子さま(やすらけいこさま)

内親王(皇女)。伊勢神宮の斎宮(巫女)。過去に業平くんとの熱愛を報道され高子さまに次ぐ大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は純真可憐。兄君の惟喬さまと同じくおっとりはんなりしている。

惟喬さま(これたかさま)

親王(皇子)。恬子さまの兄宮。業平くん有常くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第一皇子で、本来なら次の帝の第一候補のはずだったのに、陰謀によって帝位から遠ざけられた悲運の人。でもおっとりはんなりした性格のおかげで、出家後も皆の人気者。お酒は好きだが、わりと弱い。

融さま(とおるさま)

フルネーム:源融(みなもとのとおる)。富豪でセレブで風流人。光源氏の本命モデル。
凝った庭園のある大豪邸に住んでおり、人を集めては詩歌管弦の遊びをして楽しんでいる。
業平くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第八十一段限定のスペシャルゲスト。

行平さん(ゆきひらさん)

フルネーム:在原行平(ありわらのゆきひら)。業平くんのお兄さん。在原家の実質上の大黒柱。
才能ある歌人でイケメンなのに、いつもやんちゃな弟にぜんぶ持っていかれ、それでも気にしない器の大きい人。
光源氏の部分モデルといううわさも。百十九段にその話が出てくる。

家持さん(やかもちさん)

フルネーム:大伴家持(おおとものやかもち)。「いえもち」ではないので要注意。

和歌界のビッグ・ダディ。『万葉集』全二十巻を編纂した大物で、業平くんと違って漢字も得意(万葉集はすべて漢字で書かれています)。愛妻家でありながら、何人もの女性との恋歌の贈答で知られる恋愛の達人。

史実では業平よりまるっと1世紀前の人。第百五段限定のスペシャルゲスト。

敏行くん(としゆきくん)

フルネーム:藤原敏行(ふじわらのとしゆき)。業平くん有常くんの高校時代のクラスメート。成績優秀で性格もいい素敵男子。
業平くんとは三十六歌仙友だちでもあり、百人一首にもなかよくいっしょに入っている。
史実および『伊勢物語』の世界観においては紀有常の娘、つまり「井筒」にあたる女性の姉妹を妻にしている。
第百七段限定のスペシャルゲストだが、素敵なのでまた出てくるかもしれない。

世阿弥さん(ぜあみさん)

世阿弥は芸名。本名:観世三郎元清(かんぜさぶろうもときよ)。
能楽を大成した天才で、自身も役者。その美貌と名演で一世を風靡。この世に心を残した美しい亡霊が出てくる「複式夢幻能」というスタイルを確立した。
ついでだけど「序破急」という作劇法を考えたのも彼。これは本来ダンスのテンポ感を表したものなので、小説を書くときなんかにむやみに応用しないほうがいい(本人談)。
業平くんの大ファン。
史実では業平よりまるっと五世紀半後の人。

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