第七十一段 来ても見よかし
文字数 910文字
――これは季刊『小説平安時代』。
業平くんが伊勢に来ていたときに、
「その斎宮の御所で、恋の歌を得意としていた
好色な
女房が、主君斎宮の向こうを張って女房の分際で
(次の歌を詠んでよこした)」※1あははははっ。
……
まあ、覚悟はしてたけどね。
……
ここまで言う必要ある?(涙)
だけどすごい、『小説平安時代』。業平くんの恋の相手が斎宮さまじゃなくてあたしだってすっぱ抜いちゃったの、この一誌だけだった。恐るべし。
でね、もっと恐るべしなのはこの記事、世間的には完スルー(完全無視)だったのです。
だあれも真実なんて求めちゃいないってこと。
あたしの歌。
ちはやぶる※2
神の
いまは我が身の惜しからなくに※3
神さまの聖なる垣根、越えてしまおうと思います。
(神の国伊勢を出てあなたについて行こうと思います)
もう我が身がどうなっても惜しくはありません。
もちろん、そのままついては行けなかったけど。時間がかかったけど。
業平くんの返し(返歌)。
恋しくは来ても見よかし
ちはやぶる
神のいさむる道ならなくに
恋しいなら、来ればいいじゃない。
神さまがダメと言ったわけじゃないでしょう?
こんな歌を彼に贈られて、気も狂わんばかりに恋してしまわない女が(以下略)
それにしても、もしも業平くんが本当に斎宮さまと熱愛中に、どこぞの
好色な
女房に色目をつかわれてこんな歌返したとしたら、マジでチャラくない?みんな業平くんのこと、何だと思ってるんだろう。
※1 角川ソフィア文庫『伊勢物語(付 現代語訳)』、218ページ。
※2 「ちはやぶる」は「神さま」の
※3 もともとは(古今集に入っているのは)この形でした。「いまは我が身の惜しからなくに」。
それを「好色な女房」のふざけた歌ということで書き換えられてしまいました。
『伊勢物語』では下の句はこうなっています。
「
(雲の上の宮廷人のあなたにお会いしてみたくて)
もとに比べると格差ばっかり強調されて、気もちはごっそりマイナス。