第三十九段 数珠と喪服
文字数 1,094文字
表に出るとき私は彼の「妻」とは名乗れない。
離れてべつべつに記帳する。お香典もべつべつに渡す。
二つ隣の列をこっそり見やると、業平くんもこっそり私を見て微笑んでいる。
前は
(笑う話?)
と胸がしめつけられたものだったけど、もう慣れた。
亡くなったのは有名なかただったので(女性)、お焼香の列がとほうもなく長い。
なかなか順番が回ってこない。
時間切れでお焼香できなくなっちゃうなんてことあるのかな? いや、あるわけないか、なんてばかなことを考えながら一人うつむいてお数珠をいじっていたら、ふっと耳もとで声がした。
「きれいなお念珠ですね」
業平くんとおそろいで作った水晶の数珠だ。よくよく見ないとペアだとはわからない。業平くんのほうが男物だから珠もひとまわり大きくて、親玉に茶水晶が使われている。私のは紫水晶。
お守りだと思って握りしめてたのに、まさかこの数珠が男に声をかけられるきっかけを作っちゃうなんて。
「どこかでお会いしませんでしたか」
私はぽかんと口を開けていた。
ここまで直球ストレートなのはひさしぶりだ。いくらなんでももうちょっと工夫しないかなあ?
でも声がいい。自分がいい声だってよくわかってるタイプ。
「次、私たちの列ですね」と言われて、私もしかたなく立ちあがる。
さりげなく腕をとられそうになるのでびくびくする。
「あの」思いきって口を開こうとしたら、
「え」相手がすでに固まっている。棒立ちだ。「うそ」
ふりかえると、私の肩越しに、業平くんが眼光を放っていた。
唇に指をあてて、しっ、と言う。
「ご葬儀ですから」
これが、私と
お式の後で業平くんは至くんからさんざん責められた。逆じゃない。業平くんが至くんに責められたのだ。
「ひどいよ。言ってよ。こんなきれいな人隠してるなんて聞いてない。
おまえの奥さんだって知ってたらおれだって声なんかかけない」
「葬式で女に声かけるおまえが悪い」と業平くん。
「いや、ほら、井筒さんひとりぼっちで心細そうだったから」と至くん。
「心細くないです」と私。
「喪服がいけないんだよね」至くんが私に流し目をくれて嘆息する。「喪服が」
「殺されたいか」と業平くん。
お見送りした人は私たちみんな尊敬しているかただったので、悲しいお葬式だったはずなのに、なんだかアホらしい一夜になってしまった。