第八十二段 桜の日
文字数 1,110文字
桜のお話。
あの恬子さまのお兄さまだ。しかも有常くんには甥に当たる。
鷹狩はちょっとしかしない。桜の下で和歌を詠んで、お酒を飲んで、
業平くんの歌。
世の中に たえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし
この世に桜なんて素敵すぎるものがなかったら、
いつ散ってしまうだろうなんてはらはらせずに、のどかな心で春を過ごせるのにね。
お屋敷に戻ってきて、またお酒を飲んでお話しして夜がふける。
親王さまがお酔いになって、先に
空には十一日の月。沈むのが早い。
業平くんの歌。
飽かなくに まだきも月の隠るるか
山の
えー、夜はこれからなのに、もうお月さまはお
山すそがすすっと向こうへ逃げて、お月さまが入れないようにしてくれたらいいのに。
親王さまの代理で、有常くんが詠んでさし上げた歌。
おしなべて 峰も平らになりななむ
山の端なくは月も入らじを
そう、峰がみんな平らになってしまってくれたらいいね。
隠れる山すそがなければ、月も先に寝んだりはしません。
でもごめん、限界。おやすみなさい。
たぶん、みんなずっと笑っていたのだと思う。
私はこうして書き写しながら、なんだか胸が熱くなる。痛くなる。
みんななかよし。
いやな人がひとりもいない。それって奇跡に近くない?
惟喬親王は第一皇子だ。ご人格といいご人望といい、あの素敵なかたが帝になれないなんておかしい。
おかしいよ。
だからね、もちろん実名は伏せる、伏せるけれども、
名前に藤とか原とか良房とか入ってる例の人の孫にあたる第三皇子が、まだ赤ちゃんのときに惟喬さまを押しのけて(以下略)
業平くんも有常くんもばかだ。惟喬さまにくっついて遊んで歩いていても、まーったく出世に結びつかないのわかってるのに。
だめだ。涙出てきた。
ほんとにもう。
と、泣きながら笑ってしまう私。
世の中に たえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし
桜なんてものがあるからぼくらは、こうして喜んだり悲しんだりするんだね。
もう、もんのすごく、めっちゃくちゃいい歌だと思いませんか? ね?
業平くんの代表作のひとつです。
惟喬さまのために詠んだのです。業平くん、ただただ、惟喬さまを喜ばせたくて。
惟喬さまが水無瀬に呼んでくださらなかったら、この傑作は生まれなかったのです。