第二十七段 愛だよ

文字数 1,440文字

 私は別れた夫に三年半、「レス」という名の虐待を受けていた。

 あのときはそうは思わなかったが、いまは虐待だったとはっきり言ってしまっていいと思う。

 もちろん、すべてセックスレスは夫から妻への虐待だなどと言うつもりはみじんもない。
 人それぞれだし、苦しいのはおたがいさまだ。
 そうではなくて、どう対応するかで違ってくる、ということが、ちょっと言ってみたい。

「おれはちゃんと性欲もあるし勃起もする」
とはっきり言われ、その言いかたが、つまり、悪いのはおまえだと暗に言われた。
 私はカウンセリングに通ったが、柔らかい雰囲気の女性カウンセラーさんにとうとう
「井筒さんは、どこも悪くないですよ」
と優しく言われ、ほっとすると同時に絶望した。私にはどうしようもない、という通告でもあるじゃないか。
 最後まで夫は、自分は正常で、私だけが異常だと言いはった。
 変わるべきなのは百パーセント私だと。

 まあ、私が悪いのだ。そんな男とそもそも結婚しなきゃよかったというだけの話。せめてもっと早く別れればよかったというだけの話。
 ようするに、愛されていなかった、
 というね、それだけの話。
 それを認めるのに、時間がかかってしまった。

 でも、こうして認められたので、よかったと思う。

 男の人というのはとってもデリケートでプライドの高い生き物だ。とくにセックスのことになると、ちょっとうまくいかなかっただけでひどく動揺してしまうらしい。
 そんな動揺する必要ぜんぜんないのに。いっしょに探して、見つけていくものなのに。
 まあ、そういうときに無神経で残酷な対応をする女もいるから、男としてはとっさに自己防御の姿勢をとってしまうのもわかる。
 もと夫にも、前回書いたもと彼にも、突然
「そんなに責めないで」
と涙を流されて心底びっくりしたことがある。
 私はなんにも、ひとっことも言ってない。責められていると感じているのは彼ら自身なのだ。

 業平くんの名言は数々あるが、あるとき
「いちばん大事なのはせっくすじゃないからね」
と堂々と言われて、これまた逆の意味でびっくりしたことがある。
 二人ともまだすっぽんぽんでシーツにくるまっていたからなおさらだ。
「何がいちばん大事なの」
と訊いたら、真顔で
「愛だよ」
 思わずベッドからころがり落ちそうになった。

 でも、たしかに。本当にそうだ。
 成功とか失敗とか、達成とか、ビジネス目標と同じものをベッドにまで持ちこむから苦しくなる。
 少なくとも私は、ほっぺたをくっつけて眠ってくれるだけでもよかったのだ。彼らが自分でハードルをガン上げして、それを私が要求したかのようにすりかえて、
 私を汚らわしいものあつかいして——

 ここまで考えて、ふと思う。私自身はどうなの?
 ひとことも言いはしなかったけど、本当に彼らを責める気もちがゼロだったと言いきれる?
 愛されてなかったと言うけれど、自分こそ、本当に愛してた?
 それを敏感に察知されただけじゃないの?

「何笑ってるの?」と業平くん。
「何でもない」と私。
 心の中でちょこっと、もと彼ともと夫に手を合わせた。
(ごめんね)
 愛が足りなかったのは、私のほうだ。彼らが望むほど彼らに夢中にはなれなかった。自分ではそのつもりでいたのに、私は私自身をだましただけで、
 彼らは、だまされなかったのだ。

 申し訳ないことをした。
 でも、こればかりはどうしようもない。
 
 ほんと、愛は大事。というか、相性は大事。
 ちゃんとした、ちょうどいい愛は、人をとっても楽にしてくれる。
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登場人物紹介

井筒(いづつ)

この物語の語り手。恋人の業平くんと熱愛中だという以外は詳細不明。とある事情で彼との関係は公表できないらしい。その秘密がしだいに明らかに!(大した秘密ではない)

業平くん(なりひらくん)

フルネーム:在原業平(ありわらのなりひら)。この物語の主人公。井筒の恋人。

超ベストセラー小説『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされるイケメンで、名だたる美女たちとのうわさが絶えないが、素顔は天然で井筒ひとすじ。

まったく出世・昇進できなくても気にしないマイペース男。和歌の天才。

有常くん(ありつねくん)

フルネーム:紀有常(きのありつね)。業平くんの親友。業平くんを介して井筒とも友だち。
業平くんと同じかそれ以上にマイペースでぶれない男。
史実および『伊勢物語』の世界観においては「井筒」にあたる女性の父親で、業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。むろん井筒のパパではない。

至くん(いたるくん)

フルネーム:源至(みなもとのいたる)。業平くんの悪友で彼以上の、というか無類の女好き。

史実および『伊勢物語』の世界観においては業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。
第三十九段限定のスペシャルゲストだったはずなのに、みょうにキャラが立ってしまったため、その後もときどき登場している。

高子さま(たかいこさま)

女御。帝の寵姫。絶世の美女で「二条の后(きさき)」と呼ばれる。過去に業平くんとの熱愛を報道され一大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は凛として知的。藤原家の期待を一身に背負って立つ。

恬子さま(やすらけいこさま)

内親王(皇女)。伊勢神宮の斎宮(巫女)。過去に業平くんとの熱愛を報道され高子さまに次ぐ大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は純真可憐。兄君の惟喬さまと同じくおっとりはんなりしている。

惟喬さま(これたかさま)

親王(皇子)。恬子さまの兄宮。業平くん有常くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第一皇子で、本来なら次の帝の第一候補のはずだったのに、陰謀によって帝位から遠ざけられた悲運の人。でもおっとりはんなりした性格のおかげで、出家後も皆の人気者。お酒は好きだが、わりと弱い。

融さま(とおるさま)

フルネーム:源融(みなもとのとおる)。富豪でセレブで風流人。光源氏の本命モデル。
凝った庭園のある大豪邸に住んでおり、人を集めては詩歌管弦の遊びをして楽しんでいる。
業平くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第八十一段限定のスペシャルゲスト。

行平さん(ゆきひらさん)

フルネーム:在原行平(ありわらのゆきひら)。業平くんのお兄さん。在原家の実質上の大黒柱。
才能ある歌人でイケメンなのに、いつもやんちゃな弟にぜんぶ持っていかれ、それでも気にしない器の大きい人。
光源氏の部分モデルといううわさも。百十九段にその話が出てくる。

家持さん(やかもちさん)

フルネーム:大伴家持(おおとものやかもち)。「いえもち」ではないので要注意。

和歌界のビッグ・ダディ。『万葉集』全二十巻を編纂した大物で、業平くんと違って漢字も得意(万葉集はすべて漢字で書かれています)。愛妻家でありながら、何人もの女性との恋歌の贈答で知られる恋愛の達人。

史実では業平よりまるっと1世紀前の人。第百五段限定のスペシャルゲスト。

敏行くん(としゆきくん)

フルネーム:藤原敏行(ふじわらのとしゆき)。業平くん有常くんの高校時代のクラスメート。成績優秀で性格もいい素敵男子。
業平くんとは三十六歌仙友だちでもあり、百人一首にもなかよくいっしょに入っている。
史実および『伊勢物語』の世界観においては紀有常の娘、つまり「井筒」にあたる女性の姉妹を妻にしている。
第百七段限定のスペシャルゲストだが、素敵なのでまた出てくるかもしれない。

世阿弥さん(ぜあみさん)

世阿弥は芸名。本名:観世三郎元清(かんぜさぶろうもときよ)。
能楽を大成した天才で、自身も役者。その美貌と名演で一世を風靡。この世に心を残した美しい亡霊が出てくる「複式夢幻能」というスタイルを確立した。
ついでだけど「序破急」という作劇法を考えたのも彼。これは本来ダンスのテンポ感を表したものなので、小説を書くときなんかにむやみに応用しないほうがいい(本人談)。
業平くんの大ファン。
史実では業平よりまるっと五世紀半後の人。

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