第百一段 続々・他意

文字数 1,710文字

 行平さんのお宅に、藤原氏のご一行さまが遊びに来た。
「うまい酒があるそうじゃないか」
 主賓は良近(まさちか)さまという、力自慢の美丈夫(びじょうふ)

 行平さんは気くばりの人だ。大きな藤の花を活けさせてお迎えした。藤原さまご一行だけに藤の花。粋な演出。
 中にもひと房、不思議なくらい大きなのがあって、三尺六寸というから1メートル以上? ほんとかな。私は見てないからわかりません。ちょっと話盛ってないかなー。

 ちょうどそこへ業平くんが来て、みんなが「歌を詠め詠め」とはやした。
 これは行平さん談なのだけど、なんと業平くん、
「いや、ぼくは歌のほうはからきし苦手で」
と言って辞退しようとしたのだそう!

 ビックリマークつけちゃいましたよ。
 歌が苦手って、あなた。
 イヤミか?
 と、そこにいた全員が総ツッコミしたんじゃなかろうか。私は今したぞ。

 あんがい本音なんだ、というのが行平さんの説だ。
「あいつは宴会の席で即興で詠むのがじつに上手いんだが、好きではないらしい」
「得意なのに嫌いなんですか?」
「得意だから嫌い、なのかもしれないね」
 行平さんはふっと笑った。ときどきこういう柔らかい笑顔を見せる。優しい。

 そうなんだ。業平くん、余興で歌詠むの好きじゃなかったんだ。
 だよね。わかる。
「好きこそものの上手なれ」って、あんがい当たっていない。例えば、いくら好きでも上手になれない、向いてないなんて残酷なケース、いくらでもある。
 そして、逆はもっと悲惨。上手にできることが好きになれない。そんなことを上手にできてしまう自分が好きになれない。

 みんなに騒がれて、とうとう業平くんが詠んだ歌。

 咲く花の下にかくるる人 (おほ)
 ありしにまさる 藤のかげかも
  咲く藤の花の下に隠れる人の数が多くて、
  いまだかつてなく、藤の影は大きいですね。

 ふつうに読めば、
「藤(原氏)のおかげをこうむる人がたくさんいて、いまだかつてなく、藤(原氏)は栄えていますね。めでたいめでたい」
という、すっきりした、わかりやすい、
 宴席にふさわしいヨイショの歌だ。

 皆、しんとしてしまったのだそう。

 他の人が詠んだなら何の問題にもならなかっただろう。
 詠んだのが在原業平なのだ。
 青ざめる人までいたらしい。
 これは──
「藤の影に隠れ」が、表向きは「おかげをこうむり」だけど裏に「藤のやつにのさばられて日陰に押しやられて」という意味があって、
「ありしにまさる」が、表向きは「在りし=過去にまさる」つまり「いまだかつてなく」だけど裏に「ありし=在(原)氏にまさる」という意味があって、つまり

うちら在原氏は藤原の皆さんのおかげで日陰に追いやられて。
 めでたいことです、ええ

 という、ハルマゲドン級バトルロワイヤル級の嫌味ではないのか?!
 というね。

「みんなほんとにわかってない」行平さんが嘆息する。「あいつには表の意味しかないんだ。あいつの歌には」
 業平くん、きょとんとしていたそう。
「あいつがいちばんわかってない。世間の人は『深読み』が好きなんだ。裏の意味をさぐるほうが、まんま受けとるより高尚だと思ってる。
 宴会で詠めと言われて、注文どおりぺらっぺらの、からっぽの、楽しいだけの歌をあいつが詠むなんて、誰も信じない」

「だけど宴会じゃないか。
 酒の席でわざわざ、主賓に嫌味を言うやつがあるか。
 あいつはそんなことしない。そんな、おれの面目をわざわざつぶすようなことは。
 なのに」

「はらはらする」と行平さん。「見ていられない。世渡りが下手すぎる」
「どうしたらいいんでしょうね」と私。
「あんな百点満点の、二百点のヨイショ歌なんか詠むからいけない」と行平さん。「もっと下手に詠めと言うんだ」
「もっと下手にですか」
「それができれば苦労はしない」
 行平さん、頭をかかえている。彼も歌詠みだ。そう、上手な人が下手に詠むのは難しい。どうしても上手くなってしまうのですよね、行平さん。

「おかわりいかがですか」
「うん、ちょっと薄目に──いやいい、自分でやる。ありがとう」
 今日は家飲み。行平さんご持参のバーボンを開けた。
 行平さんはお強い。
 業平くんはさっきから、向こうのソファにころがってくうくう寝ている。
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登場人物紹介

井筒(いづつ)

この物語の語り手。恋人の業平くんと熱愛中だという以外は詳細不明。とある事情で彼との関係は公表できないらしい。その秘密がしだいに明らかに!(大した秘密ではない)

業平くん(なりひらくん)

フルネーム:在原業平(ありわらのなりひら)。この物語の主人公。井筒の恋人。

超ベストセラー小説『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされるイケメンで、名だたる美女たちとのうわさが絶えないが、素顔は天然で井筒ひとすじ。

まったく出世・昇進できなくても気にしないマイペース男。和歌の天才。

有常くん(ありつねくん)

フルネーム:紀有常(きのありつね)。業平くんの親友。業平くんを介して井筒とも友だち。
業平くんと同じかそれ以上にマイペースでぶれない男。
史実および『伊勢物語』の世界観においては「井筒」にあたる女性の父親で、業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。むろん井筒のパパではない。

至くん(いたるくん)

フルネーム:源至(みなもとのいたる)。業平くんの悪友で彼以上の、というか無類の女好き。

史実および『伊勢物語』の世界観においては業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。
第三十九段限定のスペシャルゲストだったはずなのに、みょうにキャラが立ってしまったため、その後もときどき登場している。

高子さま(たかいこさま)

女御。帝の寵姫。絶世の美女で「二条の后(きさき)」と呼ばれる。過去に業平くんとの熱愛を報道され一大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は凛として知的。藤原家の期待を一身に背負って立つ。

恬子さま(やすらけいこさま)

内親王(皇女)。伊勢神宮の斎宮(巫女)。過去に業平くんとの熱愛を報道され高子さまに次ぐ大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は純真可憐。兄君の惟喬さまと同じくおっとりはんなりしている。

惟喬さま(これたかさま)

親王(皇子)。恬子さまの兄宮。業平くん有常くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第一皇子で、本来なら次の帝の第一候補のはずだったのに、陰謀によって帝位から遠ざけられた悲運の人。でもおっとりはんなりした性格のおかげで、出家後も皆の人気者。お酒は好きだが、わりと弱い。

融さま(とおるさま)

フルネーム:源融(みなもとのとおる)。富豪でセレブで風流人。光源氏の本命モデル。
凝った庭園のある大豪邸に住んでおり、人を集めては詩歌管弦の遊びをして楽しんでいる。
業平くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第八十一段限定のスペシャルゲスト。

行平さん(ゆきひらさん)

フルネーム:在原行平(ありわらのゆきひら)。業平くんのお兄さん。在原家の実質上の大黒柱。
才能ある歌人でイケメンなのに、いつもやんちゃな弟にぜんぶ持っていかれ、それでも気にしない器の大きい人。
光源氏の部分モデルといううわさも。百十九段にその話が出てくる。

家持さん(やかもちさん)

フルネーム:大伴家持(おおとものやかもち)。「いえもち」ではないので要注意。

和歌界のビッグ・ダディ。『万葉集』全二十巻を編纂した大物で、業平くんと違って漢字も得意(万葉集はすべて漢字で書かれています)。愛妻家でありながら、何人もの女性との恋歌の贈答で知られる恋愛の達人。

史実では業平よりまるっと1世紀前の人。第百五段限定のスペシャルゲスト。

敏行くん(としゆきくん)

フルネーム:藤原敏行(ふじわらのとしゆき)。業平くん有常くんの高校時代のクラスメート。成績優秀で性格もいい素敵男子。
業平くんとは三十六歌仙友だちでもあり、百人一首にもなかよくいっしょに入っている。
史実および『伊勢物語』の世界観においては紀有常の娘、つまり「井筒」にあたる女性の姉妹を妻にしている。
第百七段限定のスペシャルゲストだが、素敵なのでまた出てくるかもしれない。

世阿弥さん(ぜあみさん)

世阿弥は芸名。本名:観世三郎元清(かんぜさぶろうもときよ)。
能楽を大成した天才で、自身も役者。その美貌と名演で一世を風靡。この世に心を残した美しい亡霊が出てくる「複式夢幻能」というスタイルを確立した。
ついでだけど「序破急」という作劇法を考えたのも彼。これは本来ダンスのテンポ感を表したものなので、小説を書くときなんかにむやみに応用しないほうがいい(本人談)。
業平くんの大ファン。
史実では業平よりまるっと五世紀半後の人。

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