第十段(後半) ゆりも

文字数 1,818文字

 せっかくだから、業平くんの歌、紹介しちゃいます。

 からころも 着つつなれにし 妻しあれば
 はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
  長年つれそった妻を置いてきているので、
  思えば遠くへ来たものだなあとしみじみしてしまうよ。

 これね、これね、
 業平くんがちょっと遠くへ旅に行ったときに詠んでくれたの。
 皆さんで、杜若(かきつばた)がきれいに咲いてる水辺でお弁当を食べたとき、ご一行の中の一人が
「『かきつばた』を入れて歌を詠んでみよう」
なんて言いだして、
「どうせなら『かきつばた』っていう五文字を五・七・五・七・七の句の頭にするのはどう?」
ということになって、

 か らころも
 き つつなれにし
 つ ましあれば
 は るばるきぬる
 た びをしぞおもふ

「かきつばた」の「ば」は、テンなしの「は」でオッケーってことで。

 お洒落でしょ!
 もう業平くんったら天才だからこんな素敵な歌詠んじゃって。
 しかも「長年つれそった妻」ってそれあたしよね、やーん、はずかしい! そんな人前でのろけるなんて。きゃ。

 この歌おかげさまで大好評で、和歌のベストセラー集『古今集』にも入れていただきました! わーい!
 巻九。お題は「旅」。
 こんな詞書(ことばがき)(説明)つきで。
「あづまの(かた)へ、友とする人ひとりふたりいざなひて行きけり。三河の国、八橋といふ所にいたれりけるに、その河のほとりに、かきつばたいとおもしろく咲けりけるを見て、木の蔭におりゐて、かきつばたといふ(いつ)文字を句のかしらにすゑて、旅の心をよまむとてよめる。
 在原業平朝臣(あそん)

 ——東国の方へ友人一人二人を誘って行ったときのことです。
 三河の国、八橋という所に来たとき(愛知県豊田市にいまも「三河八橋駅」ってあります)、
 そこの河のほとりに、杜若がとてもきれいに咲いているのを見て、
 木蔭で、馬を降りて座って、
 かきつばた、という五文字を句の頭に置いて、旅の心を詠んでみようということで詠みました。

 かきつばた可愛いー! ってことで拡散されたのはよかったんだけど。
 しばらくしてネット見てびっくり。知らないうちにすごいことになってた。
「業平さん超セレブの人と密会してヤバいことになって」
「逃亡したときの歌らしいよ」
「その高嶺の花の人想って詠んだ歌だってね」
「マジ号泣」

 え……

 なんで? だって「着つつなれにし妻」でしょ?
 お気に入りの服を着すぎてくたくたになって、柔らかーくなって、もう手放せないようなのありますよね。
 家で待ってるの、そんな古女房なんですよ。てへっ。
 っていう、しょもないデレた歌でしょ?

『古今集』には業平くん、続けてこんな歌も収録してもらってる。

 名にし負はば
 いざこと問はむ 都鳥(みやこどり)
 わが思ふ人はありやなしやと
  きみの名前、「都鳥」っていうの?
  じゃ訊いていいかな、都鳥くん、
  都に残してきたぼくの大切な人は、ちゃんと元気で生きてる?

 関東の隅田川まで来て(遠っ!)、ゆりかもめを初めて見た業平くん。
 都にはいない鳥なのに「都鳥」って呼ばれてるのが面白かったらしい。

 元気で生きてますよー。

 いまは笑い話だけど。
 じつは、あのときは正直、いつまた会えるのかなとは思った。
 いろいろ炎上しすぎて、うわさのお相手にされたセレブのかたもすごい騒がれようで。

 国民全員がこの「わが思ふ人」ってそのセレブなかたのことだと思ってました。私自身、そう思いかけましたもん。
 でもね。さすがに「着つつなれにし」は。
 その超ビッグでセレブな高嶺の花のかたには、失礼すぎません?

 ほとぼりがさめたころ、業平くんはひょこっと帰ってきた。
「おみやげ」
「きゃあ何これ可愛い、ありがとう! 何のキャラクター?」
「ゆりも」
 もふもふ・ゆりもマスコット。価格:800円(税込)。
 高さ約10cm(ボールチェーン部分除く)。布製。
 新橋駅・有明駅・豊洲駅の駅事務室、テレコムセンター展望室で購入できます。
 品切れの際はご容赦ください。



「ゆりもって、ゆりかもめ?」
「らしいよ」
「でも、ゆりかもめって、くちばしと足が赤いよね?」
「『楽しいベイエリアに住みうれしい生活を送るうちにピースフルな未来型に進化した』らしいよ」

 もふもふゆりも、もちぷにあざらしといっしょに飾ってある。
 つらいときは、この子たちをもみもみすることにしている。


※「からころも」「名にし負はば」ともに『伊勢物語』第九段の歌です。
一段ずれちゃいましたが、ここに入れられてよかったです。
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登場人物紹介

井筒(いづつ)

この物語の語り手。恋人の業平くんと熱愛中だという以外は詳細不明。とある事情で彼との関係は公表できないらしい。その秘密がしだいに明らかに!(大した秘密ではない)

業平くん(なりひらくん)

フルネーム:在原業平(ありわらのなりひら)。この物語の主人公。井筒の恋人。

超ベストセラー小説『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされるイケメンで、名だたる美女たちとのうわさが絶えないが、素顔は天然で井筒ひとすじ。

まったく出世・昇進できなくても気にしないマイペース男。和歌の天才。

有常くん(ありつねくん)

フルネーム:紀有常(きのありつね)。業平くんの親友。業平くんを介して井筒とも友だち。
業平くんと同じかそれ以上にマイペースでぶれない男。
史実および『伊勢物語』の世界観においては「井筒」にあたる女性の父親で、業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。むろん井筒のパパではない。

至くん(いたるくん)

フルネーム:源至(みなもとのいたる)。業平くんの悪友で彼以上の、というか無類の女好き。

史実および『伊勢物語』の世界観においては業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。
第三十九段限定のスペシャルゲストだったはずなのに、みょうにキャラが立ってしまったため、その後もときどき登場している。

高子さま(たかいこさま)

女御。帝の寵姫。絶世の美女で「二条の后(きさき)」と呼ばれる。過去に業平くんとの熱愛を報道され一大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は凛として知的。藤原家の期待を一身に背負って立つ。

恬子さま(やすらけいこさま)

内親王(皇女)。伊勢神宮の斎宮(巫女)。過去に業平くんとの熱愛を報道され高子さまに次ぐ大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は純真可憐。兄君の惟喬さまと同じくおっとりはんなりしている。

惟喬さま(これたかさま)

親王(皇子)。恬子さまの兄宮。業平くん有常くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第一皇子で、本来なら次の帝の第一候補のはずだったのに、陰謀によって帝位から遠ざけられた悲運の人。でもおっとりはんなりした性格のおかげで、出家後も皆の人気者。お酒は好きだが、わりと弱い。

融さま(とおるさま)

フルネーム:源融(みなもとのとおる)。富豪でセレブで風流人。光源氏の本命モデル。
凝った庭園のある大豪邸に住んでおり、人を集めては詩歌管弦の遊びをして楽しんでいる。
業平くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第八十一段限定のスペシャルゲスト。

行平さん(ゆきひらさん)

フルネーム:在原行平(ありわらのゆきひら)。業平くんのお兄さん。在原家の実質上の大黒柱。
才能ある歌人でイケメンなのに、いつもやんちゃな弟にぜんぶ持っていかれ、それでも気にしない器の大きい人。
光源氏の部分モデルといううわさも。百十九段にその話が出てくる。

家持さん(やかもちさん)

フルネーム:大伴家持(おおとものやかもち)。「いえもち」ではないので要注意。

和歌界のビッグ・ダディ。『万葉集』全二十巻を編纂した大物で、業平くんと違って漢字も得意(万葉集はすべて漢字で書かれています)。愛妻家でありながら、何人もの女性との恋歌の贈答で知られる恋愛の達人。

史実では業平よりまるっと1世紀前の人。第百五段限定のスペシャルゲスト。

敏行くん(としゆきくん)

フルネーム:藤原敏行(ふじわらのとしゆき)。業平くん有常くんの高校時代のクラスメート。成績優秀で性格もいい素敵男子。
業平くんとは三十六歌仙友だちでもあり、百人一首にもなかよくいっしょに入っている。
史実および『伊勢物語』の世界観においては紀有常の娘、つまり「井筒」にあたる女性の姉妹を妻にしている。
第百七段限定のスペシャルゲストだが、素敵なのでまた出てくるかもしれない。

世阿弥さん(ぜあみさん)

世阿弥は芸名。本名:観世三郎元清(かんぜさぶろうもときよ)。
能楽を大成した天才で、自身も役者。その美貌と名演で一世を風靡。この世に心を残した美しい亡霊が出てくる「複式夢幻能」というスタイルを確立した。
ついでだけど「序破急」という作劇法を考えたのも彼。これは本来ダンスのテンポ感を表したものなので、小説を書くときなんかにむやみに応用しないほうがいい(本人談)。
業平くんの大ファン。
史実では業平よりまるっと五世紀半後の人。

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