井筒(四)
文字数 760文字
始まりますよ、の合図。
客席の空気もととのう。
静かに、
舞台中央の奥に着席する。
舞台、向かって右奥に小さな引き戸。この「
右端に、中央を向いて、二列に並んで正座する。正面席の私には横顔を見せて。
地謡は──
魔法の仕掛けだ。
オペラの合唱と違って「村人たちその一、その二」みたいな人格がない。でもニュートラルなナレーターともかぎらなくて、背後からそっと亡霊の気もちを代弁してくれたりもする。
まさに、風のような。雨のような。
まわりの草木のような。
いよいよ始まる。まずはワキのお坊さまの登場ね。
と思っていたらその前に、
すっと揚幕が上がって、しずしずと「作り物」が運ばれてきた。
細い、白い、立方体の枠。細い竹に白布を巻いて組んだもの。
何だろう。
あ。
井戸、だ。
井戸を表しているんだ。「井筒」って丸く掘って四角い
一つの角に何かくくりつけてある。あれは──
〈私なんて松も桜も似合わないよー。薄ってとこ?〉
〈おれ、薄、好きだよ〉
〈だってお月さまにいちばん近いのは、薄だから〉
あの会話を聞いていたはずないのに。世阿弥さん。
どうして? あなたこそ神?
これだけで涙が出そう。嬉しくて。
笛の一声が、物語を呼び出す。
揚幕が上がる。
遠い道を、旅の僧が歩いてくる。ワキは地謡と同じく面はつけない。水のように穏やかなお顔で歩いてくる。
ああ。誰かに似てると思ったら。
有常くんに似ている。