井筒(七)
文字数 689文字
お能だから「きゃ」とは言わないけど。
設定としては
「ふっと井戸の陰にかき消える」
ということなんだけど、いやいや、消えませんよ。スモークも暗転もないです。
ただ、すすす、と数歩すり足で後ろへ下がって、止まる。
さっきまで微笑んでいた顔から、すーっと表情が消えていって、秒でいわゆる「能面」になったのには驚いた。ほんとどういう魔法。
これで「空気になった」ということなのね。
そのまま、優しい笛の音に送られて退場していく。
着替えて後シテになって出てくるまで、お僧は感慨にふける。
近所のリアル村人さんが出てきて(狂言方の担当)
「ああそれきっと井筒とよばれた人の霊ですよ!」
っていろいろ説明してくれる。うん、さっき本人が言ってたけどね、もう一度説明してくれる。たぶん寝落ちしてたお客さんのフォロー。というかお着替えのあいだの場もたせ。ありがとう。
作品によってはここでコントがあって盛りあがったりするんだけど、今回はそれもなし。優しくて静かなまま。
村人さんが去るのを見送って、お坊さまはひとりごとを言う。
「少し眠ろうかな。業平さんのおはなしの夢が見られるかもしれない」
在原寺の夜の月
夢待ち添えて
井戸と薄と、お坊さまが待っていると、
音楽が風になって、ふわりと異界の
揚幕の向こうに——
どきどき。どんな「後シテ」?
井筒、どんな姿で出てくるの? どんなお衣装で?
揚幕が上がった。
私が息をのむのと同時に、となりで短い
行平さんだ。
井筒は——
業平の