第百二十段(前半) 人生ゲーム

文字数 1,809文字

 びっくり。
 ほんとに世阿弥さんからオファーが来た。

〈井筒さんを主役に、新作を書きたいです。
 許可をいただけませんか〉

 半信半疑のまま、世阿弥さんとお会いした。業平くんと三人で。

「本物の井筒さんに初めてお目にかかって、これは!と思って」
 のっけから世阿弥さん、前のめり。熱量がすごい。色白の頬が紅潮して美しい。
 すらりとしているのに体幹がしっかりしている感じ。いかにもダンサーという体つきだ。ダンサーだけじゃない、能役者はシンガーでもある。さんざん歌ってさんざん舞う。ときには宙に跳んで回転する、フィギュアスケーターみたいに。でも足袋で。白足袋で。そして息ひとつ切らさない。
 その上、ご自分で台本を書かれて、台詞書いて歌詞書いて作曲して、脇役の人たちに振り付けして、楽師たちもたばねて。その作品がことごとく名作。傑作。
 もう尊敬しかない。

「インスピレーションというと大げさなんですけど」世阿弥さん、はにかんで言う。「書く前からこれはもう、傑作というか、ぼくの代表作になりそうな予感があるんです。
 お二人があまりにも、お似合いといいましょうか、好一対といいましょうか。美男美女っていうだけじゃないんです。お幸せそうで。その雰囲気が描きたくて」
 ほめすぎじゃないかな世阿弥さん? 業平くんと「お似合い」と言ってもらったのは、いま死んでもいいくらい嬉しいけど、でも、いったい、何がそこまで。

「わたし地味ですよ? なんのとりえもないし」
「そんなこと仰らないでください井筒さん! あなたをひと目見て、ぼくはぼくの女神を見つけたと思ったんです。あっ」
 世阿弥さん口を押さえて業平くんを見る。一瞬の流し目。まつ毛が長いから、女の私でもぞくっとするくらい艶っぽい。わお。
「もちろん『霊感の女神』という意味です」あわあわと手を振る世阿弥さん。ギャップが面白い。
 業平くんの目がちりっと光るけど、口もとは笑っている。

「先日の『松風』、本当によかったです」私はすなおな感想を述べた。「私泣きすぎて、この人に『うるさい』って言われちゃいました」
「うるさいとは言ってない」と業平くん。「おかげでおれは泣くタイミングを逃したと言っただけ」
 三人で笑う。
「ありがとうございます」と世阿弥さん。「あれはあれで、やりつくした感があるんです。でもちょっと、何と言うか。行けるところまで行ってしまったんでしょうかね」
「行けるところまで?」
「じつは『松風』はゼロからぼくのオリジナルじゃなくて、改作なんです」そうだったんですか。「ぼくの尊敬する喜阿弥(きあみ)さんの作品に、父の観阿弥(かんあみ)が手を入れて、さらにぼくが」
 それだけ推敲というか、磨きぬかれて、あの傑作ができたんですね。

 海辺の()び住まい。潮に映る月。松を揺らす風と雨。引き裂かれた恋。
 完璧だ。これ以上、足すものも引くものもない。
「でもどうしても『ああ光源氏の元ネタになった話ね』って言われちゃうのがくやしくて」
 それか!
 たしかに『源氏物語』で光源氏は須磨・明石に不遇の日々を送り、そこで土地の豪族の娘と結ばれる。明石(あかし)の君だ。光さまが帰京するとき、いったんは涙の別れとなる。明らかに行平さんのエピソードを意識した展開。
 だけど光さまは行平さん超え、融さま超えのスーパーヒーローだから、京に返り咲いた後は出世街道をばく進して、豪邸を建ててちゃんと明石さんを呼び寄せて一角に住まわせる。明石さんの生んだ女の赤ちゃんは美しく成長し、入内(じゅだい)して中宮にまで昇りつめる。
 ハッピーエンド。万々歳。人生ゲームならドル札舞うレベルの勝ち組シナリオ。※
『松風』の世界とはだいぶ違う。

 ねえ世阿弥さん、唇を噛んでうつむいて見せてるけど、私知ってるよ。
『松風』の中にかーなーりー『源氏物語・シーズン須磨』からの有名な引用入ってるよね。
 そこは外さないのねー。観客のつかみ、取りに行く。
 さすが演劇人。


※じつはこの後、光さまは奥さんの一人を寝取られる(NTR)という仰天バッドエンドが待っている。やっぱり紫式部さんただ者ではない。
ただし、その奥さんは事情があって押しつけられたお飾りの幼な妻だ。
これでNTRれたのが最愛の人(紫の上)だったら、光さまも「因果応報」ってへこんでもいいけど、(おんな)三宮(さんのみや)ちゃんなら大して好きでもないんだしトレードに出してもノープロブレムじゃないのかなと私井筒は思う。なのでわたし的には光さま堂々の勝ち組ゴールだ。
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登場人物紹介

井筒(いづつ)

この物語の語り手。恋人の業平くんと熱愛中だという以外は詳細不明。とある事情で彼との関係は公表できないらしい。その秘密がしだいに明らかに!(大した秘密ではない)

業平くん(なりひらくん)

フルネーム:在原業平(ありわらのなりひら)。この物語の主人公。井筒の恋人。

超ベストセラー小説『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされるイケメンで、名だたる美女たちとのうわさが絶えないが、素顔は天然で井筒ひとすじ。

まったく出世・昇進できなくても気にしないマイペース男。和歌の天才。

有常くん(ありつねくん)

フルネーム:紀有常(きのありつね)。業平くんの親友。業平くんを介して井筒とも友だち。
業平くんと同じかそれ以上にマイペースでぶれない男。
史実および『伊勢物語』の世界観においては「井筒」にあたる女性の父親で、業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。むろん井筒のパパではない。

至くん(いたるくん)

フルネーム:源至(みなもとのいたる)。業平くんの悪友で彼以上の、というか無類の女好き。

史実および『伊勢物語』の世界観においては業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。
第三十九段限定のスペシャルゲストだったはずなのに、みょうにキャラが立ってしまったため、その後もときどき登場している。

高子さま(たかいこさま)

女御。帝の寵姫。絶世の美女で「二条の后(きさき)」と呼ばれる。過去に業平くんとの熱愛を報道され一大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は凛として知的。藤原家の期待を一身に背負って立つ。

恬子さま(やすらけいこさま)

内親王(皇女)。伊勢神宮の斎宮(巫女)。過去に業平くんとの熱愛を報道され高子さまに次ぐ大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は純真可憐。兄君の惟喬さまと同じくおっとりはんなりしている。

惟喬さま(これたかさま)

親王(皇子)。恬子さまの兄宮。業平くん有常くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第一皇子で、本来なら次の帝の第一候補のはずだったのに、陰謀によって帝位から遠ざけられた悲運の人。でもおっとりはんなりした性格のおかげで、出家後も皆の人気者。お酒は好きだが、わりと弱い。

融さま(とおるさま)

フルネーム:源融(みなもとのとおる)。富豪でセレブで風流人。光源氏の本命モデル。
凝った庭園のある大豪邸に住んでおり、人を集めては詩歌管弦の遊びをして楽しんでいる。
業平くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第八十一段限定のスペシャルゲスト。

行平さん(ゆきひらさん)

フルネーム:在原行平(ありわらのゆきひら)。業平くんのお兄さん。在原家の実質上の大黒柱。
才能ある歌人でイケメンなのに、いつもやんちゃな弟にぜんぶ持っていかれ、それでも気にしない器の大きい人。
光源氏の部分モデルといううわさも。百十九段にその話が出てくる。

家持さん(やかもちさん)

フルネーム:大伴家持(おおとものやかもち)。「いえもち」ではないので要注意。

和歌界のビッグ・ダディ。『万葉集』全二十巻を編纂した大物で、業平くんと違って漢字も得意(万葉集はすべて漢字で書かれています)。愛妻家でありながら、何人もの女性との恋歌の贈答で知られる恋愛の達人。

史実では業平よりまるっと1世紀前の人。第百五段限定のスペシャルゲスト。

敏行くん(としゆきくん)

フルネーム:藤原敏行(ふじわらのとしゆき)。業平くん有常くんの高校時代のクラスメート。成績優秀で性格もいい素敵男子。
業平くんとは三十六歌仙友だちでもあり、百人一首にもなかよくいっしょに入っている。
史実および『伊勢物語』の世界観においては紀有常の娘、つまり「井筒」にあたる女性の姉妹を妻にしている。
第百七段限定のスペシャルゲストだが、素敵なのでまた出てくるかもしれない。

世阿弥さん(ぜあみさん)

世阿弥は芸名。本名:観世三郎元清(かんぜさぶろうもときよ)。
能楽を大成した天才で、自身も役者。その美貌と名演で一世を風靡。この世に心を残した美しい亡霊が出てくる「複式夢幻能」というスタイルを確立した。
ついでだけど「序破急」という作劇法を考えたのも彼。これは本来ダンスのテンポ感を表したものなので、小説を書くときなんかにむやみに応用しないほうがいい(本人談)。
業平くんの大ファン。
史実では業平よりまるっと五世紀半後の人。

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