第三十話 ボタン

文字数 1,605文字

 業平くんのシャツに、「スナップボタン」が多いことに気がついた。

 とくにアメカジ大好きという彼でもない。スウェットとかはそんなに着ない。
 シャツだけがウェスタン。
 ダンガリーのボタンダウンやクレリックも似合うと思うのに、着てるの見たことがない。少なくともうちには着てきたことがない。

 そう言ってみたら、とっても嬉しそうな顔になって、解説してくれた。
「もとはカウボーイの人たちが着たんだよ。
 馬から落ちたり事故に巻きこまれたりして怪我したとき、すぐ脱がせて手当てしないといけないでしょ。スナップならふつうのボタンと違っていっきに外せる。
 こんなふうに」
 襟もとに両手をかけて、力をこめて引くと、ばっ!と身頃が左右に開く。
「それそれ! それ! かっこいいの!」

「もう一回やって、もう一回!」
 騒ぐ私に「あとでね」とおだやかにさとすように言う。
 でも得意そうだ。

 乗ってこられながら訊いてみた。
「もしかして、このためにスナップボタンにしてるの?」
「当然」
 そうだったんだ!
「井筒に会ってから、スナップのシャツが増えちゃった。井筒が喜ぶから」
 そうだったんだ。

 こんなこと言われて有頂天にならない女がいるだろうか。

「あたしもスナップの服にする」あちこちにキスされながらまだ騒いでいる私だ。「かっこいい」
 するとまたおだやかに制された。「井筒はだめ。ふつうのボタンにして」
「どうして?」
「おれがひとつずつ外す楽しみがなくなる」

 終わってから訊いてみた。
「もしかして、ずーっとこういうこと考えてるの?」
「当然」

 モテる・モテないを「不平等だ」と言って怒る人がいる。
 ちょっと違うと思う。
 たしかに「見た目」と「声」という、親から受け継ぐ財産についてはどうしようもない。でもそれだけじゃない。前にも書いたけど、モテる努力がむくわれないとしたら、そもそも方向性をまちがえている可能性が高い。
 モテるためと思って、せっせと「自分みがき」をする人は多い。そうじゃない。世のモテ男たちに共通しているのは、四六時中、一日に四十八時間、
「どうしたらウケるか」
をずーっと、ずーーーーーっと考えているということだ。
 そして思いついたら試してみる。わりと失敗する(本当)。こりずにまた別の方法を考える。

 私はマリリン・モンロー主演の『お熱いのがお好き』という映画が大好きなんだけど、あの中でトニー・カーティス演じるモテ男ジョーが、マリリン演じるシュガー嬢を落とすために画策するあの手この手は本当に涙ぐましい。
 文字どおり命がけ。ジョーとバンドマン仲間のジェリーはひょんなことからマフィアに追われている。
 あの映画は最初っから最後まで、ジョーがシュガーを落とそうとしてもんのすごくアホくさいことをいっぱい考えてはつぎつぎ実行するというだけの話だ。そんなことやってる場合じゃないだろう、とっとと逃げないとヤバいと相棒のジェリーは叫ぶしジョー自身も思うのだけど、やめられない。
 雄のクジャクは尾羽をひろげて雌にアピールしている間に、うっかりトラに食われちゃうことがあるそうだ。ほぼそれに近い。
 愚の骨頂だ。

 この「愚の骨頂」が、たいていの男の人にはできない。
 あたりまえだ。これも前にも書いたけど、男性は基本誇り高くて賢い生き物だ。好きこのんでばかをやるほどばかじゃない。時間も惜しむ。
 だから、「愚の骨頂」に命を賭けられるごく少数の男たちにぜんぶ持っていかれる。
 不平等でも何でもない。リソースの配分の問題だ。

 モテ男たちが「努力せずしてモテてる」ように見えるとしたら、理由はたぶん二つある。
 一つは、努力しているようには見えないように気をつけているから。
 もう一つは、そもそも努力だと思っていないから。あたりまえだと思っているから。
 楽しんでいるから。
 そのためにいろんな損をしても、まったく気にしていないから。

 このどちらか、または、両方だ。
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登場人物紹介

井筒(いづつ)

この物語の語り手。恋人の業平くんと熱愛中だという以外は詳細不明。とある事情で彼との関係は公表できないらしい。その秘密がしだいに明らかに!(大した秘密ではない)

業平くん(なりひらくん)

フルネーム:在原業平(ありわらのなりひら)。この物語の主人公。井筒の恋人。

超ベストセラー小説『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされるイケメンで、名だたる美女たちとのうわさが絶えないが、素顔は天然で井筒ひとすじ。

まったく出世・昇進できなくても気にしないマイペース男。和歌の天才。

有常くん(ありつねくん)

フルネーム:紀有常(きのありつね)。業平くんの親友。業平くんを介して井筒とも友だち。
業平くんと同じかそれ以上にマイペースでぶれない男。
史実および『伊勢物語』の世界観においては「井筒」にあたる女性の父親で、業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。むろん井筒のパパではない。

至くん(いたるくん)

フルネーム:源至(みなもとのいたる)。業平くんの悪友で彼以上の、というか無類の女好き。

史実および『伊勢物語』の世界観においては業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。
第三十九段限定のスペシャルゲストだったはずなのに、みょうにキャラが立ってしまったため、その後もときどき登場している。

高子さま(たかいこさま)

女御。帝の寵姫。絶世の美女で「二条の后(きさき)」と呼ばれる。過去に業平くんとの熱愛を報道され一大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は凛として知的。藤原家の期待を一身に背負って立つ。

恬子さま(やすらけいこさま)

内親王(皇女)。伊勢神宮の斎宮(巫女)。過去に業平くんとの熱愛を報道され高子さまに次ぐ大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は純真可憐。兄君の惟喬さまと同じくおっとりはんなりしている。

惟喬さま(これたかさま)

親王(皇子)。恬子さまの兄宮。業平くん有常くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第一皇子で、本来なら次の帝の第一候補のはずだったのに、陰謀によって帝位から遠ざけられた悲運の人。でもおっとりはんなりした性格のおかげで、出家後も皆の人気者。お酒は好きだが、わりと弱い。

融さま(とおるさま)

フルネーム:源融(みなもとのとおる)。富豪でセレブで風流人。光源氏の本命モデル。
凝った庭園のある大豪邸に住んでおり、人を集めては詩歌管弦の遊びをして楽しんでいる。
業平くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第八十一段限定のスペシャルゲスト。

行平さん(ゆきひらさん)

フルネーム:在原行平(ありわらのゆきひら)。業平くんのお兄さん。在原家の実質上の大黒柱。
才能ある歌人でイケメンなのに、いつもやんちゃな弟にぜんぶ持っていかれ、それでも気にしない器の大きい人。
光源氏の部分モデルといううわさも。百十九段にその話が出てくる。

家持さん(やかもちさん)

フルネーム:大伴家持(おおとものやかもち)。「いえもち」ではないので要注意。

和歌界のビッグ・ダディ。『万葉集』全二十巻を編纂した大物で、業平くんと違って漢字も得意(万葉集はすべて漢字で書かれています)。愛妻家でありながら、何人もの女性との恋歌の贈答で知られる恋愛の達人。

史実では業平よりまるっと1世紀前の人。第百五段限定のスペシャルゲスト。

敏行くん(としゆきくん)

フルネーム:藤原敏行(ふじわらのとしゆき)。業平くん有常くんの高校時代のクラスメート。成績優秀で性格もいい素敵男子。
業平くんとは三十六歌仙友だちでもあり、百人一首にもなかよくいっしょに入っている。
史実および『伊勢物語』の世界観においては紀有常の娘、つまり「井筒」にあたる女性の姉妹を妻にしている。
第百七段限定のスペシャルゲストだが、素敵なのでまた出てくるかもしれない。

世阿弥さん(ぜあみさん)

世阿弥は芸名。本名:観世三郎元清(かんぜさぶろうもときよ)。
能楽を大成した天才で、自身も役者。その美貌と名演で一世を風靡。この世に心を残した美しい亡霊が出てくる「複式夢幻能」というスタイルを確立した。
ついでだけど「序破急」という作劇法を考えたのも彼。これは本来ダンスのテンポ感を表したものなので、小説を書くときなんかにむやみに応用しないほうがいい(本人談)。
業平くんの大ファン。
史実では業平よりまるっと五世紀半後の人。

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