第七十六段 サムアップ

文字数 1,330文字

 宮中でちょっとしたお祝い事があり、皆さんで大きな神社(どこか忘れた)にご参詣になった。
 そのとき、《二条の后》こと、あの高子さまが。
 他の人たちは代理のお役人から記念品をもらっているのに、
 業平くんだけわざわざ高子さまの牛車のところまでお招きになり、じきじきにお品を手渡してくだされたのだそう。

 キイワード「二条の后」「業平」「ごほうび」がトレンド入りして、ここのところ世間はその話題で持ちきりだ。

 私は気にしてなかったのだけど、業平くんが自分から話してくれた。
 高子さま、記念品をお手渡しになりながら、
 なんと。
 こっそりウインクして、親指を立ててみせてくださったのだそう。
 ──がんばって。負けないで! と。

 私は前から高子さまを尊敬してはいたけど、この話を聞いて、いまさらながら大ファンになった。
 かっこいい。

 高子さまと業平くんがあれだけうわさになりながら、じつは何でもなかったことを、私は知っている。
 業平くんがそう言うから信じているだけだけど、彼を見ていればわかる。現に、恬子さまと業平くんが何でもなかったことは事実だ。
 高子さまはお強い。最近、女性で初めて「歌のつどい」という和歌のサロン(サークル)を主宰なさっている。そこに堂々と業平くんを招いて、後進の指導にあたらせたりしている。
 高子さまのサロンに業平くんがいるということで、入会希望者が殺到している。

 じつは、業平くんの昇進が二十代半ばの従五位下(じゅごいのげ)(従五位下なんて高子さまは九歳でもらってる)を最後にずっと、ずーっと止まっている本当の理由は、彼が勉強ができないからではない。
 ゴルフができないからでもない。
 あえて実名は伏せるが、藤原良房(ふじわらのよしふさ)とかいうくそじ……もとい政界の大物に、どうやら在原一族はにらまれているらしいのだ。
 高子さまはその藤原家の、期待の姫でもあった。

 これはまったく私の推測だけど、高子さまと業平くんは、恋仲というより、もっと別のきずなで結ばれている匂いがする。
 同志、というか。

 高子さまは、他に、誰にも言えない想い人があったのではないだろうか。
 業平くんのほうが人畜無害で。
 なぜ業平くんがその濡れ衣を黙って着たかはわからない。業平くんのほうにも別の秘めた恋があったのかもしれないし、本当に高子さまが好きだったのかもしれない。
 それとも、ただの「男気」だったのかもしれない。
 業平くんならやりかねない。

 いつか
「『男気』なんて言葉、大っ嫌いだ」
と言って私を驚かせたことがある。
「そうなの?」
「うん。それでどれだけ損してきたか!」
 笑っていた。

 高子さまが堂々と、知らんふりして、何かにつけて業平くんにお目をかけてくださるのには、そんな経緯もあるんじゃないかと私はひそかに思っている。

 私も、サムアップ(親指を立てる)したい。
 高子さまと業平くんに。

 いいね!


※高子さまは後年、もっと凄まじいスキャンダルに巻きこまれている。ご自身の建立なさったお寺(東光寺)の座主(いちばん偉いお坊さま)との不義密通を疑われ、皇太后の位を廃されるという痛ましい事件だ。
本当に恋仲だったのかはわからない。亡くなった後にひじょうにあいまいな感じで名誉回復がなされている。
高子さま……。(涙)
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登場人物紹介

井筒(いづつ)

この物語の語り手。恋人の業平くんと熱愛中だという以外は詳細不明。とある事情で彼との関係は公表できないらしい。その秘密がしだいに明らかに!(大した秘密ではない)

業平くん(なりひらくん)

フルネーム:在原業平(ありわらのなりひら)。この物語の主人公。井筒の恋人。

超ベストセラー小説『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされるイケメンで、名だたる美女たちとのうわさが絶えないが、素顔は天然で井筒ひとすじ。

まったく出世・昇進できなくても気にしないマイペース男。和歌の天才。

有常くん(ありつねくん)

フルネーム:紀有常(きのありつね)。業平くんの親友。業平くんを介して井筒とも友だち。
業平くんと同じかそれ以上にマイペースでぶれない男。
史実および『伊勢物語』の世界観においては「井筒」にあたる女性の父親で、業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。むろん井筒のパパではない。

至くん(いたるくん)

フルネーム:源至(みなもとのいたる)。業平くんの悪友で彼以上の、というか無類の女好き。

史実および『伊勢物語』の世界観においては業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。
第三十九段限定のスペシャルゲストだったはずなのに、みょうにキャラが立ってしまったため、その後もときどき登場している。

高子さま(たかいこさま)

女御。帝の寵姫。絶世の美女で「二条の后(きさき)」と呼ばれる。過去に業平くんとの熱愛を報道され一大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は凛として知的。藤原家の期待を一身に背負って立つ。

恬子さま(やすらけいこさま)

内親王(皇女)。伊勢神宮の斎宮(巫女)。過去に業平くんとの熱愛を報道され高子さまに次ぐ大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は純真可憐。兄君の惟喬さまと同じくおっとりはんなりしている。

惟喬さま(これたかさま)

親王(皇子)。恬子さまの兄宮。業平くん有常くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第一皇子で、本来なら次の帝の第一候補のはずだったのに、陰謀によって帝位から遠ざけられた悲運の人。でもおっとりはんなりした性格のおかげで、出家後も皆の人気者。お酒は好きだが、わりと弱い。

融さま(とおるさま)

フルネーム:源融(みなもとのとおる)。富豪でセレブで風流人。光源氏の本命モデル。
凝った庭園のある大豪邸に住んでおり、人を集めては詩歌管弦の遊びをして楽しんでいる。
業平くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第八十一段限定のスペシャルゲスト。

行平さん(ゆきひらさん)

フルネーム:在原行平(ありわらのゆきひら)。業平くんのお兄さん。在原家の実質上の大黒柱。
才能ある歌人でイケメンなのに、いつもやんちゃな弟にぜんぶ持っていかれ、それでも気にしない器の大きい人。
光源氏の部分モデルといううわさも。百十九段にその話が出てくる。

家持さん(やかもちさん)

フルネーム:大伴家持(おおとものやかもち)。「いえもち」ではないので要注意。

和歌界のビッグ・ダディ。『万葉集』全二十巻を編纂した大物で、業平くんと違って漢字も得意(万葉集はすべて漢字で書かれています)。愛妻家でありながら、何人もの女性との恋歌の贈答で知られる恋愛の達人。

史実では業平よりまるっと1世紀前の人。第百五段限定のスペシャルゲスト。

敏行くん(としゆきくん)

フルネーム:藤原敏行(ふじわらのとしゆき)。業平くん有常くんの高校時代のクラスメート。成績優秀で性格もいい素敵男子。
業平くんとは三十六歌仙友だちでもあり、百人一首にもなかよくいっしょに入っている。
史実および『伊勢物語』の世界観においては紀有常の娘、つまり「井筒」にあたる女性の姉妹を妻にしている。
第百七段限定のスペシャルゲストだが、素敵なのでまた出てくるかもしれない。

世阿弥さん(ぜあみさん)

世阿弥は芸名。本名:観世三郎元清(かんぜさぶろうもときよ)。
能楽を大成した天才で、自身も役者。その美貌と名演で一世を風靡。この世に心を残した美しい亡霊が出てくる「複式夢幻能」というスタイルを確立した。
ついでだけど「序破急」という作劇法を考えたのも彼。これは本来ダンスのテンポ感を表したものなので、小説を書くときなんかにむやみに応用しないほうがいい(本人談)。
業平くんの大ファン。
史実では業平よりまるっと五世紀半後の人。

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