第十段(前半) 心あまりて
文字数 1,736文字
もちろんめっちゃ顔がよくてめっちゃ優しいんだけど(べた惚れの妻の言うことなんで気にしないでください)、それだけじゃない。
彼にはぶっちぎりの特技がある。
歌だ。
オペラや演歌じゃなくて和歌。五七五七七。三十一文字(みそひともじ)、というやつ。
自慢じゃないけど、というか自慢だけど、というかなぜ私が自慢するって話だけど、
業平くんは「六歌仙」(和歌界のザ・ビッグ・シックス)にだって選ばれてる。
天才なのだ。
なのに、天才なのに、これがまた、
まーったく出世にも収入にも結びついていない。
もとの家柄があれくらい良くなかったら、下手したらのたれ死にしてたレベルじゃないだろうか?
なんであんなにひょうひょうとしていられるのかわからない。
それだけでも大物だ。
いまの世の中、とにかく偏差値の高さが社会的な評価に直結する。
つまり漢文だ。一に漢文、二に漢文、三四がなくて五も漢文。お役所の記録とか歴史書とか、そういうの。
漢字ばっかり。ひらがないっさい使わない。
日本って変な国だ。日本語以外の外国語がいつもいちばん大事にされる。一時期は「国際的に活躍する人材」の必須科目はオランダ語だった。その後「英語ができなきゃ人間じゃない」的な時期がしばらくあって、いまはまた中国語ブームが来ている。
業平くんはこの「漢文」が得意じゃない。
そんなんで平安貴族やってて大丈夫なの? と心配になるほど不得意ならしい。
業平くんのお母さんは、業平くんが小学生のとき、担任の先生に
「
なんにも聞いてないんですよね」
と言われたそうだ。
「あんなに恥ずかしかったことはない」
その後、折あるごとにお母さんに言われるそうだ。
「ほんとなの」
「ほんと。なーんにも聞いてなかった」
「何考えてたの」
「何も」
大物だ。
そのくせ人気者だからいろいろ言われる。ディスられる。
「あいつ本当はばかなんだよ」と男たちが必死に陰口をふりまいて、女たちの目を覚まさせようと奮闘している姿が目に見えるようだ。
「業平という人の歌はいつも言いたいことが多すぎて、ちゃんとまとめられていない」
原文ママだと「心あまりて
「花がしぼんで、もう色があせてしまって、匂いだけ残っているような感じ」
原文ママだと「しぼめる花の色なくて匂ひ残れるがごとし」。
おいこら。貫之。ケンカ売ってんのか。
ってあたしが買ってどうする。
『日本三代実録』っていう歴史書にも書かれちゃってる。これは文責が誰だかわからない。
あの性格の悪い(言っちゃったよ)
「業平、体貌閑麗、放縦不拘。略無才学、善作倭歌」
うう読めない。(泣)
読めないんだけど、私も漢文はちんぷんかんぷんなんだけど、漢字ってよくできていて、ながめているとなんとなく想像がついてくる。
・立ち姿や顔はしゅっとしてきれい
・好き勝手していてこだわりというものがない
・勉強はできない
・和歌を作るのは上手
そのとおりだとも!
誰これ書いたの。笑える。めちゃくちゃ当たってる。道真さんかもしれない。
「勉強はできない(略無才学)」ってところが爆笑だけど、その後に「歌を作るのは上手(善作倭歌)」が来てほめてしめくくっているから、なんだか愛を感じる。
そう思ってあらためて見ると、貫之さんもかならずしもディスってるわけではないのかなと思えてくる。私のひいき目かもしれないけど。まあたぶんひいき目だけど(あはは)。
「心あまりて言葉足らず」。
逆よりいい。言葉があまって心が足らないよりよっぽどいい。
「しぼめる花の色なくして匂い残れるがごとし」。
そんなにいつまでもふんわり感動が残るなんて素敵だ。
毒舌の貫之さんにしたらこれ、もしかして最大級のほめ言葉なんじゃないだろうか。
言いたいことがたくさんあっても全部ぺらぺら言ったりはしない。そっと包んでおく。
そこからちょっとこぼれても包んでおく。
というの、粋だと思う。
そのほうが香りが残る。
私もそうありたい。