第八十七段(前半) ドライマティーニ
文字数 921文字
ひさしぶりにいっしょに飲まないかというお誘い。
「よかったら井筒さんも」
ありがたくお受けした。
業平くんはひとりっ子だという話をしたけど(第八十四段)、それはお母さまサイドのことで、じつは在原家の兄弟はたくさんいる。
業平くんは五男だ。在原家の五男だからよく「
行平さんは三男。でも一族の中では(比較的)出世頭で、実質上の大黒柱だ。地方の行政官を歴任なさっている。業平くんよりはお父さま似で、やっぱりきれいな人だ。肩幅が少し広い。
歌人でもある。
業平くんがいなければ、ぶっちぎりでモテモテだったろうと思う。行平さん。
彼の素敵なところは、いつもいーっつも
「業平の兄」
と言われて比べられても気にされないところだ。
少なくとも表には見せない。おおらかに笑っておられる。
かっこいい。
行平さんは洒落たお店をたくさんご存知で、今回も夜景のみごとなバーだった。こんな所、業平くんだったら照れちゃってぜったい連れてきてくれない。
「井筒さん、何飲む?」と行平さん。
私はこういうお店にとんと縁がない。淑女のマナーみたいなものもぜんぜんわからない。
おそるおそる、ソルティドッグ、と言ってみたら、行平さんに目をまるくされた。
「そんな、野郎が飲むようなやつだめだよ」
えー、味が好きなのにー。だったら初めから選んでくれればいいじゃないですか。もう。はずかしい。
「業平は何にする?」
「ドライマティーニ」即答だ。
「おれもそれで」と行平さん。「じゃ、井筒さんには……」
マンハッタンが出てきた。ああ、『お熱いのがお好き』の!
マラスキーノ・チェリーがころんと可愛い。
おいしい!
でも二人のドライマティーニうらやましいな、と思っているのが顔に出ちゃってたのだろう。業平くんがグラスを交換して味見させてくれた。こっちもおいしい!
「オリーブ食べていいよ」と業平くん。
「えーそんな」と私。「じゃチェリーあげる」
「いいの。どっちも井筒が食べて」
行平さん、ずっとにこにこしている。にやにや、かもしれない。
マンハッタンはウイスキーベースで琥珀色だけど、マティーニはジンベースだから透明だ。