第六十三段 わけへだて
文字数 1,047文字
と業平くんが言う。ぽつりと。
「わけへだて?」と私。「みんなに優しいってこと?」
それなら当たっていなくもない。
短い沈黙があって、
私は、彼が何を言おうとしているのかわかった。
「頼めば」
できるだけ静かに言おうとしている。
「頼めばかならずヤッてくれる男ってことじゃないかな」
たまに彼がこんなふうに押し殺した声で語るときは、
激怒している証拠だ。
今日発売の週刊誌を見せてくれた。同僚が買ってきてくれたそうだ。
「業平の暴言」
「エイジズム(年齢差別)!」
どぎつい見出しのかたわらに、ハンカチで目もとを押さえる白髪の女性の写真。見るからに高そうなお着物に帯。大きな指輪。
この人、あれだ。さいきん業平くんとうわさになってる女流作家の先生だ。
この先生の小説『グレイヘア ~たまゆらの恋~』に出てくる、ヒロインの四十歳年下の恋人が、どう見ても業平くんに激似。
小説のなかで美男「アリヒラ」は、ヒロインのおばあさんをさんざんもてあそんで捨てる。そのエグさが話題沸騰して、文学賞まで取ってしまった。
おととい業平くん、道でいきなり記者さんたちに囲まれて
「あれ実話ですか?」
「どうですか正直、四十や五十上でも行けちゃいますかね業平さんなら?」
わあわあ騒がれ、とっさに私の顔が浮かんで
「ないです」
と言ってしまったのだそう。
で、この書かれようだ。
「しつこく食事に誘ってくるから、断っただけなんだよ」と業平くん。
そうでしょうとも。
たぶん、あの受賞じたい、炎上ねらいの出来レースだな。
「世の中」苦笑している。「声の大きいもの勝ちというのは、どうなんだろうね」
「そんなことないよ」と私。
「そうかな」と彼。
「うん」と私。
「黙っていると損だとは、思うんだけど」と彼。
そう、損だ。でもこういうときって、抗弁すればするほど誰にも信じてもらえない。
「大丈夫」と私。「見てくれてる人も、黙って見てくれてるから」
「そうかな」
「そうよ。コーヒー淹れようか?」
「うん。ありがとう」
じつは、前から思っていた。あのおばあさんには気をつけたほうがいいんじゃないかと。
業平くんにはそういう危うさがある。声をかけられると、笑顔でふりむいてしまう。それこそ「わけへだて」しない。
その笑顔にウツボみたいに食らいついてくる相手を、見抜けない。
これだけはどうしようもない。私が守ってあげるにも限界がある。
小さなキッチンのコンロの前で私たちは、
ただ、黙って、寄りそって立つ。