第百十六段 選択

文字数 1,263文字

 お鍋の材料を、二人で買いに行った。

「井筒は何食べたい?」
「何でもいい」
「『何でもいい』は困る」
 いつもの会話。
 正直私は
(家で見てもいい男だけど、こうして外で見るとやっぱりいい男だなあ)
とデレていて、お鍋の具なんてほんと何でもいいのだ。
 ばかだ。

「井筒これ好きだよね」
「うん」
 私の好物、彼のほうがよく憶えている。
 でも、一時期お豆腐をかならず買ってたのに、あるときからぴたりと買わなくなった。
 買ってたのは
「イソフラボンは体に良い(そして豆腐にはイソフラボンが豊富)」
という記事を読んだからであり、買わなくなったのは
「プリン体にご注意(そして豆腐にはプリン体も豊富)」
という記事を読んだからであるらしい。
 ややこしいのでまかせている。

 スーパーの食料品売り場を一周してしまって、レジに並ぼうとするから、
「業平くんの食べたいものは?」
と訊いたら、ちょっと考えて「買っていい?」と言う。
「どうぞどうぞ。何?」

「ちくわ」

 平安貴族のきみが! ちくわ?
 可愛いいい!

 カートをめぐらせて練り物のコーナーへ向かう。
 ちくわにも何種類もあるのに、カートを停めもせずに棚からぱっと取る。焼きちくわだ。
「前から食感が好きだったんだけど」と言う。「最近あらためて思ったんだ。
 焼きちくわって、単独で食べると他のちくわより味ないのに、鍋に入れたときいちばんおいしいよね。
 他の味をよく吸うんだね」

 これだ。ほんと偉いと思う。
 彼は小さなものやことをよく見てる。いつも。
 まあ、だから大きなことは、右の耳から左の耳へ抜けちゃうんだけどね。ね、業平くん!

 焼きちくわ、私も好きになった。
 彼が私を選んでくれたときもこんな感じだったんだろうな、なんてね。並み居るちくわたち百花繚乱のコーナーで、こっそり隅のほうにいた私。ふふ。

 ここでこの話、終わりにしてもよかったんだけど、レジに並んでいるときまた面白いことがあったので付け足し。
 業平くんの視線が一点にくぎ付けになっている。よくある「レジ前」のコーナーだ。ここでもう一品ついカゴに入れちゃうというね。

 ずんだ餡バター。

「あれ何かな」と彼。
「いや、だから」と私。「ずんだ餡を、バターと合わせてパックしてあるんじゃない?」読んで字のごとしだ。
「パンに乗せるのかな」と彼。
「パンに乗せるんじゃない?」と私。そういう写真のパッケージでしょうが。
 からっぽ。
「後悔するよね、買ったら」
「業平くんパンあんまり食べないじゃない。とくに甘いパン」
「後悔するよね」
「買えばいいじゃない」
「でも後悔するよね」

 じつは彼、食べ物に関してはチャレンジャーではない。同じ好物を買いつづけるタイプ。
 チャレンジャーは私だ。
 ずんだ餡とバター。私のひじょうに好きそうな組み合わせ。
 自分が買いたいんじゃないのだ、業平くん。私に買わせて、そして後悔させたいのだ。
 だっておデブまっしぐらでしょうが!

「ぜったい後悔するよね?」レジを通ってしまってもまだ言ってる。
 私が笑うからいけない。
 調子に乗ってどこまでも笑わそうとしている。
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登場人物紹介

井筒(いづつ)

この物語の語り手。恋人の業平くんと熱愛中だという以外は詳細不明。とある事情で彼との関係は公表できないらしい。その秘密がしだいに明らかに!(大した秘密ではない)

業平くん(なりひらくん)

フルネーム:在原業平(ありわらのなりひら)。この物語の主人公。井筒の恋人。

超ベストセラー小説『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされるイケメンで、名だたる美女たちとのうわさが絶えないが、素顔は天然で井筒ひとすじ。

まったく出世・昇進できなくても気にしないマイペース男。和歌の天才。

有常くん(ありつねくん)

フルネーム:紀有常(きのありつね)。業平くんの親友。業平くんを介して井筒とも友だち。
業平くんと同じかそれ以上にマイペースでぶれない男。
史実および『伊勢物語』の世界観においては「井筒」にあたる女性の父親で、業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。むろん井筒のパパではない。

至くん(いたるくん)

フルネーム:源至(みなもとのいたる)。業平くんの悪友で彼以上の、というか無類の女好き。

史実および『伊勢物語』の世界観においては業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。
第三十九段限定のスペシャルゲストだったはずなのに、みょうにキャラが立ってしまったため、その後もときどき登場している。

高子さま(たかいこさま)

女御。帝の寵姫。絶世の美女で「二条の后(きさき)」と呼ばれる。過去に業平くんとの熱愛を報道され一大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は凛として知的。藤原家の期待を一身に背負って立つ。

恬子さま(やすらけいこさま)

内親王(皇女)。伊勢神宮の斎宮(巫女)。過去に業平くんとの熱愛を報道され高子さまに次ぐ大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は純真可憐。兄君の惟喬さまと同じくおっとりはんなりしている。

惟喬さま(これたかさま)

親王(皇子)。恬子さまの兄宮。業平くん有常くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第一皇子で、本来なら次の帝の第一候補のはずだったのに、陰謀によって帝位から遠ざけられた悲運の人。でもおっとりはんなりした性格のおかげで、出家後も皆の人気者。お酒は好きだが、わりと弱い。

融さま(とおるさま)

フルネーム:源融(みなもとのとおる)。富豪でセレブで風流人。光源氏の本命モデル。
凝った庭園のある大豪邸に住んでおり、人を集めては詩歌管弦の遊びをして楽しんでいる。
業平くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第八十一段限定のスペシャルゲスト。

行平さん(ゆきひらさん)

フルネーム:在原行平(ありわらのゆきひら)。業平くんのお兄さん。在原家の実質上の大黒柱。
才能ある歌人でイケメンなのに、いつもやんちゃな弟にぜんぶ持っていかれ、それでも気にしない器の大きい人。
光源氏の部分モデルといううわさも。百十九段にその話が出てくる。

家持さん(やかもちさん)

フルネーム:大伴家持(おおとものやかもち)。「いえもち」ではないので要注意。

和歌界のビッグ・ダディ。『万葉集』全二十巻を編纂した大物で、業平くんと違って漢字も得意(万葉集はすべて漢字で書かれています)。愛妻家でありながら、何人もの女性との恋歌の贈答で知られる恋愛の達人。

史実では業平よりまるっと1世紀前の人。第百五段限定のスペシャルゲスト。

敏行くん(としゆきくん)

フルネーム:藤原敏行(ふじわらのとしゆき)。業平くん有常くんの高校時代のクラスメート。成績優秀で性格もいい素敵男子。
業平くんとは三十六歌仙友だちでもあり、百人一首にもなかよくいっしょに入っている。
史実および『伊勢物語』の世界観においては紀有常の娘、つまり「井筒」にあたる女性の姉妹を妻にしている。
第百七段限定のスペシャルゲストだが、素敵なのでまた出てくるかもしれない。

世阿弥さん(ぜあみさん)

世阿弥は芸名。本名:観世三郎元清(かんぜさぶろうもときよ)。
能楽を大成した天才で、自身も役者。その美貌と名演で一世を風靡。この世に心を残した美しい亡霊が出てくる「複式夢幻能」というスタイルを確立した。
ついでだけど「序破急」という作劇法を考えたのも彼。これは本来ダンスのテンポ感を表したものなので、小説を書くときなんかにむやみに応用しないほうがいい(本人談)。
業平くんの大ファン。
史実では業平よりまるっと五世紀半後の人。

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