第二十三段(後半) ぶらんこ  ※ちょいエロ 

文字数 1,716文字

 業平くんが女を作った。

 ちょっと説明させてもらうと、彼は平安貴族なので基本「通い婚」だ。夫が妻の家に通う。夫の身じたくやなんかは妻の家でととのえる。
 業平くんは出世コースからはがっつり外れているものの、宮中の人気者だから、へたな格好はさせられない。
 でも、うちは最近父が死んでわりと家計が苦しい。もっともっとお洒落させてあげたいのに、私の甲斐性のないのが申し訳ない。
 だから二人で相談した結果、もう一人嫁を作って、その家からもバックアップしてもらおうということになった。

 私は割り切ってるのに、業平くん本人がうじうじしている。
「行きたくない」と言う。
「決めたんだから行ってきなよ。向こうも待ってるよ」と私。
 玄関でネクタイをきゅっと結んであげてもまだしょんぼりしている。しょんぼりしててもいい男だなあ、と私は惚れぼれする。ばかだ。

 まあ彼がしょんぼりするのもわかる。これってけっきょく
 出張ホスト
 みたいなものだ。
「井筒は嫌じゃないの?」と彼、消え入りそうな声で言う。玄関のドアにもたれて少し首をかしげていて、これがまたとろけるくらい可愛い。何やってもいい男だからしかたない。
「嫌に決まってる」
「じゃあ行かない」
「そうじゃなくて」
 この()におよんで押し問答。本当ごめん業平くん。みんな私が悪い。私の貧乏が悪い。
 拝んで、送り出す。

 やれやれ。

 送り出した私は、さっそく化粧台に向かう。
 ふだんほとんど化粧しないからひさしぶりだ。
 ふうと一つ息を吐き、それからおしろいをはたき、眉を引き、口に紅をさす。
 何をしてるのかと言うと——
 私も、出かけるのだ。

 だって家にひとりでいたらろくなことはない。時計のコチコチいう音が耳について苦しいだけだ。
 いまどのへんかな。もう駅に着いたかな。もう電車乗ったかな。
 もう向こうに着いたかな。
 いまどのへんかな。まずお茶飲むのかな。飲むよね。紅茶とか。お砂糖いりますか、いえおかまいなくとか言っちゃって。で、テーブルの上でお手々がふれちゃって、あっ、とか言ってお茶こぼしちゃって、ごめんなさいすぐ拭きます、いやぼくは大丈夫、それよりあなたは? やけどしなかった? とか言っちゃって、業平くん優しいから、
 そのまま手を取って、
 いまどのへん、

 大切にしまってあったとっておきの白いスカートをはいて、私は家を出る。
 鍵をかけて歩きだす。
 行く所なんてどこにもない。徒歩五分で小さな公園に着く。ぶらんこに腰かける。キイ、とくさりが鳴る。
 いまどのへん?

 今日は初めてだからいきなりワイルドには行かないよね。(キイ)きっとじっくり攻めるコースだ。指とかもちょっとなめるかもしれない。それから首ね。(キイ)彼は紳士だからキスマークなんて野蛮なことはぜったいしないの。ちゅっ、ちゅっ、とかるく当てていって、胸もとのボタンを一つ外す。それからもう一つ。(キイ)彼女どんなブラしてるのかな。黒いレースとかあんまりエロいのはやだなあ。(キイ)でも子どもっぽい花柄だったりしたらそれはそれで……

 キッ、とぶらんこが止まった。後ろからくさりをつかんでいる両手がある。
「井筒」
「はあ?!」

「何やってるの? こんなとこで」と私。
「井筒こそ何してるの、こんなとこで」と彼。
「いや、あの」

「待って待って待って」と私。「人が見てる!!」

 そのまま手をつかんで家までほとんど小走りに引っぱっていかれて、玄関から直行でベッドルームへ追いこまれて押し倒されて、めちゃくちゃ攻められた。白いスカートぐしゃぐしゃだ。
「だって井筒ぜんぜん嫉妬してくれないし」泣きそうな顔で言う。「窓から見てたらすごいきれいにお化粧して」
「窓から見てたの?!」自宅で夫にストーカーされるって何なんだ。
「きれいな服着て出ていくからぜったい男できたと思った」
「ばかなの?」
「嫌だっ」叫んでいる。

 けっきょく先方にはていねいにお詫びを入れて、この話はなしになった。
 おかげで今月もぴーぴーだ。
 出世できないわけだよ。これじゃ。

 業平くんは女泣かせだっていうイメージがあるけど、それわりと偏見。じつは彼が泣いているエピソードのほうが多い。
 ばかなのだ。
 可愛いけど。
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登場人物紹介

井筒(いづつ)

この物語の語り手。恋人の業平くんと熱愛中だという以外は詳細不明。とある事情で彼との関係は公表できないらしい。その秘密がしだいに明らかに!(大した秘密ではない)

業平くん(なりひらくん)

フルネーム:在原業平(ありわらのなりひら)。この物語の主人公。井筒の恋人。

超ベストセラー小説『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされるイケメンで、名だたる美女たちとのうわさが絶えないが、素顔は天然で井筒ひとすじ。

まったく出世・昇進できなくても気にしないマイペース男。和歌の天才。

有常くん(ありつねくん)

フルネーム:紀有常(きのありつね)。業平くんの親友。業平くんを介して井筒とも友だち。
業平くんと同じかそれ以上にマイペースでぶれない男。
史実および『伊勢物語』の世界観においては「井筒」にあたる女性の父親で、業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。むろん井筒のパパではない。

至くん(いたるくん)

フルネーム:源至(みなもとのいたる)。業平くんの悪友で彼以上の、というか無類の女好き。

史実および『伊勢物語』の世界観においては業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。
第三十九段限定のスペシャルゲストだったはずなのに、みょうにキャラが立ってしまったため、その後もときどき登場している。

高子さま(たかいこさま)

女御。帝の寵姫。絶世の美女で「二条の后(きさき)」と呼ばれる。過去に業平くんとの熱愛を報道され一大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は凛として知的。藤原家の期待を一身に背負って立つ。

恬子さま(やすらけいこさま)

内親王(皇女)。伊勢神宮の斎宮(巫女)。過去に業平くんとの熱愛を報道され高子さまに次ぐ大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は純真可憐。兄君の惟喬さまと同じくおっとりはんなりしている。

惟喬さま(これたかさま)

親王(皇子)。恬子さまの兄宮。業平くん有常くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第一皇子で、本来なら次の帝の第一候補のはずだったのに、陰謀によって帝位から遠ざけられた悲運の人。でもおっとりはんなりした性格のおかげで、出家後も皆の人気者。お酒は好きだが、わりと弱い。

融さま(とおるさま)

フルネーム:源融(みなもとのとおる)。富豪でセレブで風流人。光源氏の本命モデル。
凝った庭園のある大豪邸に住んでおり、人を集めては詩歌管弦の遊びをして楽しんでいる。
業平くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第八十一段限定のスペシャルゲスト。

行平さん(ゆきひらさん)

フルネーム:在原行平(ありわらのゆきひら)。業平くんのお兄さん。在原家の実質上の大黒柱。
才能ある歌人でイケメンなのに、いつもやんちゃな弟にぜんぶ持っていかれ、それでも気にしない器の大きい人。
光源氏の部分モデルといううわさも。百十九段にその話が出てくる。

家持さん(やかもちさん)

フルネーム:大伴家持(おおとものやかもち)。「いえもち」ではないので要注意。

和歌界のビッグ・ダディ。『万葉集』全二十巻を編纂した大物で、業平くんと違って漢字も得意(万葉集はすべて漢字で書かれています)。愛妻家でありながら、何人もの女性との恋歌の贈答で知られる恋愛の達人。

史実では業平よりまるっと1世紀前の人。第百五段限定のスペシャルゲスト。

敏行くん(としゆきくん)

フルネーム:藤原敏行(ふじわらのとしゆき)。業平くん有常くんの高校時代のクラスメート。成績優秀で性格もいい素敵男子。
業平くんとは三十六歌仙友だちでもあり、百人一首にもなかよくいっしょに入っている。
史実および『伊勢物語』の世界観においては紀有常の娘、つまり「井筒」にあたる女性の姉妹を妻にしている。
第百七段限定のスペシャルゲストだが、素敵なのでまた出てくるかもしれない。

世阿弥さん(ぜあみさん)

世阿弥は芸名。本名:観世三郎元清(かんぜさぶろうもときよ)。
能楽を大成した天才で、自身も役者。その美貌と名演で一世を風靡。この世に心を残した美しい亡霊が出てくる「複式夢幻能」というスタイルを確立した。
ついでだけど「序破急」という作劇法を考えたのも彼。これは本来ダンスのテンポ感を表したものなので、小説を書くときなんかにむやみに応用しないほうがいい(本人談)。
業平くんの大ファン。
史実では業平よりまるっと五世紀半後の人。

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