第五十八段 自販機  ※ラストだけちょいエロ

文字数 1,804文字

 業平くんは、
 ふつうだったら舌噛んで死ぬレベル
 の大失敗を、生涯に二度、やらかしている。
 もちろんどっちも女がらみ。

 二度ですよ。二度。
 千二百年語り継がれるレジェンドレベルのスキャンダルを、ダブルで。

 それでも元気にサバイブして、こうして嬉々としてあたしとえっちしている彼を、あたしは心の底から尊敬します。できることじゃありません。
 まあ、彼のファンには優しくてまじめな人も多いから、そういう人たちは「大失敗」とは言わず
 悲恋
 と言ってくれる。
 ものは言いようだ。

 で、流れでその「悲恋」の話をご紹介しようと思ったんだけど、また今日しょうもない事件があったと言ってグチられたので、そっちを先に書くことにします。

 昼休みに業平くんは、職場、ということは宮廷のロビーの自販機の前で、コーヒーを選んでいたんだそう。
 さっさと決めてしまえばよかったのに、ついちょっと迷っていたら、
 どやどやと女官の人たちの一団が歩いてくるのが見えた。
 まだ遠くにいるうちから
「あ、中将さまだ!」
という声が聞こえて、

「あの『だ!』っていうの何なんだろうね」
 苦りきった表情の業平くんを前に、すでにツボにはまってふるふる笑いをこらえている私。
「『だ!』っていうのやめてほしい。おれはパンダじゃない」
「パンダちゃんと同類なんだよ、彼女たちにしたら」
「やめて」

 で、業平くん、
 とっさに、隠れたんだそう。

 こういうときに前髪なんかかきあげながらウインクして
「皆さん今日もお美しいですね」
とかつるつる言えちゃうイケメンって、私は自分がゴーストライターをやってるエロゲーやロマンス小説の中でしか会ったことがない。
(あ、ミムラアキラとかいう三流小説家のWeb小説『ダブルダブル』にも何人か出てきてたような気はする。)

 業平くんは年齢=モテ歴のリアルモテ男だが、こんなふうに女の人の集団に囲まれるのはものすごく苦手だ。
「神社の境内でハトに囲まれるより怖い」と言う。
 たぶんヒッチコックの『鳥』的なホラーを言ってるんだと思う。
「隠れたって」と私。「隠れる所、あったの?」
「ない」と彼。
 私がつっぷして笑うあいだ話は中断したのだけど、そこは早送りするとして。

 自販機の先は行きどまりになっていて、柱の陰に人ひとりがかろうじて立てるくらいのスペースがある。業平くんはそこに入ってしまった。
「小学生?」と私。
「自分でも『やっちゃった』と思った」と彼。
 隠れる瞬間をしっかり見られてるのだ。ぜんぜんばれてるし、まちがいなく服のすそなんか見えちゃってる。

「でね、みんないじわるなの」本気でしょげている。
 彼女たち、わざと自販機の前でたむろして(その距離わずか1、2メートル)、ゆーっくり時間をかけてコーヒーを買いながら、大きな声で
「ねえ、さっきこのへんで中将さま見なかった?」
「見た見たー」
「どこ行ったんだろうねー」
「ひどくない? あたしたち鬼かっていうの」
「とって食べたりしないのに」
「食べるかも?」
「きゃはは!」

 昼休み終わっちゃう、と業平くんは焦る。もうオフィスに戻らないと。
 だけど女官さんたちは許してくれない。ずーっと自販機前を占拠して待ってる。
 せっぱつまった業平くん、思いきって
「すみません。通してください」
 蚊の鳴くような声で言ったら、全員がしんと静まりかえった。

 いたたまれずに早足で去る彼の背後で、笑いが爆発したんだそう。
「可愛い! 可愛い!」
「もう『可愛い』なんて言われるトシじゃないし」
 業平くん本気で怒っている。

「だから、みんな、業平くんが」笑いすぎて涙をふきながら私。まだ腹筋のひくひくが止まらない。「大好きなんだってば」
「好かれなくていい。ふつうにコーヒー飲みたい」
「そだね」

「たぶんおれに隙があるんだよね」
「あはは」
「笑わないで。こういう目に遭わないためには、どうしたらいい?」真剣に訊いてくる。
「うーん」

「その1。ものすごく嫌なキャラだって認定してもらえるように、何かやらかす。
 その2。『寄るんじゃねえゴルア』オーラを常時ふりまく。
 その3」
「もういい」と彼。「たぶんどれも無理」

 雨に打たれた、というより無理やりシャンプーされた仔犬みたいにやるせない顔をしているので、頭を抱えてよしよししてあげた。
「怖かったよー」
「よしよし」
「ほんとに怖かったの」

 と言いつつ、さりげなく乳首をつまんでくる。油断もすきもありはしない。
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登場人物紹介

井筒(いづつ)

この物語の語り手。恋人の業平くんと熱愛中だという以外は詳細不明。とある事情で彼との関係は公表できないらしい。その秘密がしだいに明らかに!(大した秘密ではない)

業平くん(なりひらくん)

フルネーム:在原業平(ありわらのなりひら)。この物語の主人公。井筒の恋人。

超ベストセラー小説『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされるイケメンで、名だたる美女たちとのうわさが絶えないが、素顔は天然で井筒ひとすじ。

まったく出世・昇進できなくても気にしないマイペース男。和歌の天才。

有常くん(ありつねくん)

フルネーム:紀有常(きのありつね)。業平くんの親友。業平くんを介して井筒とも友だち。
業平くんと同じかそれ以上にマイペースでぶれない男。
史実および『伊勢物語』の世界観においては「井筒」にあたる女性の父親で、業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。むろん井筒のパパではない。

至くん(いたるくん)

フルネーム:源至(みなもとのいたる)。業平くんの悪友で彼以上の、というか無類の女好き。

史実および『伊勢物語』の世界観においては業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。
第三十九段限定のスペシャルゲストだったはずなのに、みょうにキャラが立ってしまったため、その後もときどき登場している。

高子さま(たかいこさま)

女御。帝の寵姫。絶世の美女で「二条の后(きさき)」と呼ばれる。過去に業平くんとの熱愛を報道され一大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は凛として知的。藤原家の期待を一身に背負って立つ。

恬子さま(やすらけいこさま)

内親王(皇女)。伊勢神宮の斎宮(巫女)。過去に業平くんとの熱愛を報道され高子さまに次ぐ大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は純真可憐。兄君の惟喬さまと同じくおっとりはんなりしている。

惟喬さま(これたかさま)

親王(皇子)。恬子さまの兄宮。業平くん有常くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第一皇子で、本来なら次の帝の第一候補のはずだったのに、陰謀によって帝位から遠ざけられた悲運の人。でもおっとりはんなりした性格のおかげで、出家後も皆の人気者。お酒は好きだが、わりと弱い。

融さま(とおるさま)

フルネーム:源融(みなもとのとおる)。富豪でセレブで風流人。光源氏の本命モデル。
凝った庭園のある大豪邸に住んでおり、人を集めては詩歌管弦の遊びをして楽しんでいる。
業平くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第八十一段限定のスペシャルゲスト。

行平さん(ゆきひらさん)

フルネーム:在原行平(ありわらのゆきひら)。業平くんのお兄さん。在原家の実質上の大黒柱。
才能ある歌人でイケメンなのに、いつもやんちゃな弟にぜんぶ持っていかれ、それでも気にしない器の大きい人。
光源氏の部分モデルといううわさも。百十九段にその話が出てくる。

家持さん(やかもちさん)

フルネーム:大伴家持(おおとものやかもち)。「いえもち」ではないので要注意。

和歌界のビッグ・ダディ。『万葉集』全二十巻を編纂した大物で、業平くんと違って漢字も得意(万葉集はすべて漢字で書かれています)。愛妻家でありながら、何人もの女性との恋歌の贈答で知られる恋愛の達人。

史実では業平よりまるっと1世紀前の人。第百五段限定のスペシャルゲスト。

敏行くん(としゆきくん)

フルネーム:藤原敏行(ふじわらのとしゆき)。業平くん有常くんの高校時代のクラスメート。成績優秀で性格もいい素敵男子。
業平くんとは三十六歌仙友だちでもあり、百人一首にもなかよくいっしょに入っている。
史実および『伊勢物語』の世界観においては紀有常の娘、つまり「井筒」にあたる女性の姉妹を妻にしている。
第百七段限定のスペシャルゲストだが、素敵なのでまた出てくるかもしれない。

世阿弥さん(ぜあみさん)

世阿弥は芸名。本名:観世三郎元清(かんぜさぶろうもときよ)。
能楽を大成した天才で、自身も役者。その美貌と名演で一世を風靡。この世に心を残した美しい亡霊が出てくる「複式夢幻能」というスタイルを確立した。
ついでだけど「序破急」という作劇法を考えたのも彼。これは本来ダンスのテンポ感を表したものなので、小説を書くときなんかにむやみに応用しないほうがいい(本人談)。
業平くんの大ファン。
史実では業平よりまるっと五世紀半後の人。

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