桂陵の戦い

文字数 842文字

 では、桂陵(けいりょう)の戦いについてみてみましょう。この戦いは、史上有名な戦だと思います。

 はじめ、将軍となった田忌(でんき)邯鄲(かんたん)に赴こうとしました。現在、魏が邯鄲を囲んでおり、戦いは趙の邯鄲で起こっているわけです。常識的な判断といっていいでしょう。

 『歴史地図集』によると、魏の国境の近くに当時の邯鄲は位置していたとされています。魏の目と鼻の先にあったわけです。
 一方で、邯鄲は斉の国境からはやや離れた位置にあり、斉軍が趙の国境から中へ入って、邯鄲へ急行しようとしても、時間がかかるのは必至の状況でした。
 この状況を把握し、孫臏は田忌に策を授けたのです。

 魏軍は強かったです。龐涓(ほうけん)の率いる軍は、十五年の秋から十六年の冬にかけて趙に攻め込み、十月(正月)には邯鄲を攻略し、攻め落としたと記録が残っています。

 つまり、一月~一月半ほどで邯鄲のような都市を攻め落としてしまった、ということになります。
 龐涓は次の趙の都市を攻め落とそうと、準備を始めていました。

 しかし、そこに一報が入ります。

「龐涓様、敵が、敵が現れました」

 使者が龐涓のもとに到着しました。

「ほう、どこの軍だ?」

 龐涓は余裕をもって答えました。邯鄲を落とした今、どこに軍が現れようと、対応はしやすくなっていました。

「斉の軍です、斉の軍が現れました」

「うむ、予期していたことだ」

 趙が斉に応援を要請することは予測できていたことです。龐涓は(あわ)てませんでした。

「こちらへ向かっているのか」

 龐涓は己の才能に自信を持っていました。確かに孫臏さえいなければ、龐涓も優れた将軍として歴史の片隅に名を遺したかもしれません。

 しかし、龐涓は使者の次の答えに驚愕することになります。

「いいえ、斉軍はこちら、邯鄲へは向かっておりません。魏と斉との国境を突破し、その勢いをかって、大梁(たいりょう)へとまっすぐに進軍しています」

「なんだと、誰だ、誰がそのような策を斉に授けたのだ」

 龐涓は自分が思わず立ち上がっていることに気が付きませんでした。それほど、狼狽していたのです。
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