秦をめぐる歴史観(上)

文字数 1,303文字

 歴史を調べていくと、「正義」、というものを、考えることがあります。誰が正しいか、誰が間違っていたか。
資治通鑑(しじつがん)』の一番最初には、司馬光(しばこう)の有名な文章が置かれ「名」や「礼」などについて論じられています。
 正統(せいとう)なのは誰だったのか、誰が正義だったのか。

 前章では、商君・衛鞅(えいおう)を軸に当時の歴史を俯瞰(ふかん)しましたが、正直に言います、衛鞅が『史記』などで相当の悪人として描かれているのを知り、あとから、失敗したかな、とも思いました。
 僕もできることなら、悪人ではなく、正義の味方の話を書きたい、英雄のことを語りたい。

 ではなぜ衛鞅を題材として取り上げたか?

 それは、この物語が、秦の歴史だということだという点にあります。秦の歴史を語っていくうえで、衛鞅の、商君の果たした役割は見逃せないものだった。国を整え、強くした。民は国を愛し、国に従うようになった。
 法家の思想に近いものとはいえ(刑名(けいめい)家と『史記』は評していましたが)、その功績は大きいものだったと思います。

 ここでやや難しく、ややこしいかもしれませんが、重要なことを言います。

 矛盾(むじゅん)していると思われませんか?秦の歴史上で重要な役割を果たした人物が、なぜ『史記』では批判され、攻撃され、けちょんけちょんに言われて悪人にされているか。司馬遷ほどの人物ならば、衛鞅のいい面に注目することはできなかったのでしょうか。

 物事を常にいい面で見る、というのはいい習慣です。物事が明るく見える。それは正しい。僕もそうするように努めています。
 しかし歴史では、『筆者』、というものが存在するのです。

 何を当たり前のことを、と思われましたか?それとも、筆者はどの書かれた作品にも存在するではないか、そう思われた方もおられるかもしれません。何を当たり前のことを言っているのでしょうね。

 僕は、単なる素人です。あまり大きなことは述べたくないのですが、ここでは多少風呂敷を広げさせていただきます。

 歴史学とは、筆者について調べる学問である、と。

 例を上げないとわかりにくいので、『史記』と衛鞅のことについて少し触れてみます。

『史記』という歴史書は、司馬遷(しばせん)とその父親の研鑽(けんさん)によって生まれた書であると記憶しています。書かれた時代は、司馬遷は前漢(ぜんかん)の武帝の頃の人ですから、その時代の背景が色濃く反映されるのです。

 わかりますか?

 前漢という国は、秦を倒して成立した国です。前漢はヒーロー、正義の味方でなければならない、前漢につながる人物や思想は、当然正当化されねば、前漢という国家の根幹が揺らいでしまいますし、書き手は危険思想の持ち主として排除されてしまいます。
 文学や、歴史書、批評書としての位置づけはともかく、歴史というものは、筆者の歴史観、筆者の言いたいこと、方向性から離れることはできません。ある時には、歴史というものは広告になりうるものなのです。
 だから、前漢の司馬遷は主張します、前漢こそが正義だ、と。
 正義の味方がいるのなら、悪者も必要ですね。

 では誰が悪役、悪者の役を演じるか?

 それは秦です。つまり秦帝国は、前漢によって否定的にとらえられた国家である、と認識して読む必要があります。
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