魏の公子・無忌(信陵君)、侯嬴(侯生)を遇す
文字数 1,131文字
話は遡ります。魏の公子の無忌 は仁にして士にへりくだり、食客は三千人にも及びました。
さて魏に隠士 (世を隠れた人物)がおり、侯嬴 といいました。年は七十ほどで、家は貧しく、魏の都・大梁の夷門 の監者 をしておりました。
公子は酒をもうけて賓客をたくさんあつめ、坐が定まりました。そしてそこへ公子は車や騎を従えて、自らの車の左の席(車のうち最も尊い席)を空けてみずから侯生 (侯嬴さん)を迎えました。
侯生は敝 れた衣冠をとって、ずけずけと公子の上坐 に乗り込んで全く譲りませんでした。
公子は轡 を執っていよいよ恭しい態度を取りました。侯生はさらに公子に申しあげていいました。
「臣 に客人がおり市場の屠殺場の中 におります。お願いですが車騎をまげてそこを通ってくださらぬか。」
公子は車を引いて市場に入りました。侯生は車を下りてその客・朱亥 にあいましたが、二人はまともに目をあわせず、立ちっぱなしで、その友人と話をしました。
二人はさっと公子をみましたが、公子の顔色はいよいよなごやかでした。そこで客と別れを告げ車にのり、公子の家に至りました。
公子は侯生を引いて上坐 に坐らせ、賓客に特別に紹介しました。賓客たちはいな驚きました。
秦が趙を囲むにおよび、趙の平原君の夫人は、公子・無忌の姉でありました。平原君は使者を派遣して冠と蓋 を魏におくり、公子をせめてもうしました。
「勝(平原君)がおのれを婚姻にかりたてた理由は、公子が高義であり、よく人の困(苦しみ)を急 (救の音通か)うからであります。
今、邯鄲 は旦 や暮 にも秦にくだりそうですのに、魏の救いは至りません。もし公子が勝 を軽んじて棄てられるとしても、公子 の姉 をあわれにおもわれないのですか!」
公子はこのことを患 え、何回か魏王に晉鄙に勅命をくだし趙を救わせることを請いました。また賓客や辯士も万端をつくして遊説しましたが、王は終 いに聴 されませんでした。
公子はそこで賓客をそろえ、車騎百余乗を統率(約束)して、戦闘に赴きそして趙に死のうとしました。
夷門 を過ぎ、侯生にあいました。
侯生は申しました。
「公子よ、これを勉めよ(がんばりなさい)、老臣 は従う能 わず(ついてゆくことができません)!」
公子は去りました。数里をいきました。しかし心が快ならず(おちつかず)、再度ひきかえして侯生にあいました。
侯生は笑ってもうしました。
「臣 はもとより公子が引き返されるのを知っておったのですよ!
今、公子は他に端 とて無く、そうであるのに秦軍へと立ち向かおうとされている。たとえるならば肉を飢えた虎に投げるようなものです、どのような功 が有るでしょう!あるはずがございません」
公子は再拜して計略を問いました。
侯嬴は人払いをして申しました。
さて魏に
公子は酒をもうけて賓客をたくさんあつめ、坐が定まりました。そしてそこへ公子は車や騎を従えて、自らの車の左の席(車のうち最も尊い席)を空けてみずから
侯生は
公子は
「
公子は車を引いて市場に入りました。侯生は車を下りてその客・
二人はさっと公子をみましたが、公子の顔色はいよいよなごやかでした。そこで客と別れを告げ車にのり、公子の家に至りました。
公子は侯生を引いて
秦が趙を囲むにおよび、趙の平原君の夫人は、公子・無忌の姉でありました。平原君は使者を派遣して冠と
「勝(平原君)がおのれを婚姻にかりたてた理由は、公子が高義であり、よく人の困(苦しみ)を
今、
公子はこのことを
公子はそこで賓客をそろえ、車騎百余乗を統率(約束)して、戦闘に赴きそして趙に死のうとしました。
侯生は申しました。
「公子よ、これを勉めよ(がんばりなさい)、老
公子は去りました。数里をいきました。しかし心が快ならず(おちつかず)、再度ひきかえして侯生にあいました。
侯生は笑ってもうしました。
「
今、公子は他に
公子は再拜して計略を問いました。
侯嬴は人払いをして申しました。