荊軻、旅だつ

文字数 1,379文字

燕の太子・(たん)は、()に言って申されました。

「今、秦はすでに韓王を(とりこ)にし、また兵を挙げて南は楚を伐ち、北は趙に臨んでいる。趙が秦を支えることができなければ、すぐさま(わざわい)はきっと燕にいたるであろう。燕は小さく弱く、しばしば兵に(くる)しんでいる。どうして燕が秦に当たるに足ろう。諸侯が秦に服すれば、敢えて合縦策をとるものはないであろう。

 (たん)の私計は愚かであるが、以為(おも)うのは、本当の天下の勇士を得て秦に使いさせ、秦王を(おびや)かし、ことごとく諸侯を侵す地をしてかえさせるという計である。

 曹沫(そうばつ)の齊・桓公とのごとくであれば、つまり大へん善いのである。(曹沫(そうばつ)は魯の勇士)

 秦王が地を返すことを不可といえば、すぐさまそこで秦王を刺殺する。秦は大いにまさに兵を外に暴れまわろうとさせており内は乱れが有るので、そこで君臣を相い疑わせ、そして彼らを間すれば(引き裂けば)、諸侯は合縦することができる、そうなれば秦の破れることは必然であろう。唯だ荊卿(荊軻(けいか)殿)は意をこの策にとどめられよ!」と。

 荊軻はこれを許しました。賛成したわけです。ここに太子は荊軻を上舍(じょうしゃ)にやどしました。太子は日びその門下にいたりました。荊軻を奉養(ほうよう)する様子は、至らないところがありませんでした。

 王翦(おうせん)が趙を滅ぼすに及んで、太子はこのことを聞いて(おそ)れ、荊軻を派遣して行かせようとしました。

 荊軻は申しあげました。

「今、行くに信用がございません、それでは秦はまだ親むことができないでしょう。本当に(はん)将軍の首と燕の督亢(とくこう)の地図とを、奉じて秦王に献ずれば、秦王は必ず(よろこ)(悦)びて臣と謁見するでしょう、臣はそこでそれを機に報いることがあるでしょう」

 太子はおっしゃいました。

「樊将軍は窮困して丹に身を寄せられた、丹は忍びない」

 荊軻はそこで(ひそ)かに樊於期(はんおき)に見えて申しました。

「秦が将軍を待遇すること、深酷であるというべきではございませんか。父母宗族みなために戮没(りくぼつ)(殺戮され没した)させられました。今、聞くに将軍の首を(あがな)う(懸賞する)こと、金千斤、(ゆう)萬家でございます、いったいどうすればよいのでしょう?」

 於期はおおきなため息をして(なみだ)を流して申しました。

「計略はいったいどこに出るのです。」

 荊軻は申しあげました。

「願わくば将軍の首を得てそして秦王に献ずるのです、秦王は必ず喜んで臣にあうでしょう、臣は左手にその袖をとり、右手にその胸を()しましょう(揕とは剣で胸を刺すことをいうという)、そうすることで将軍の仇に報いて燕の(しの)がれる(圧迫される)の(はじ)は除かれるのです!」

 樊於期は申しました。

(これ)こそ臣の日夜、切歯(せっし)腐心(ふしん)していた計略である!」

 遂に自ら首を()ねました。

 太子はこれを聞いて、(はし)って()いて(こく)()くこと、使者を悼む礼)に伏しました、そうではあるもののすでにどうすることもできなかったのです。遂に(はこ)に入れてその首をみたしました。

 太子はあらかじめ天下の()き(鋭い)匕首(ひしゅ)を求めて、工人に藥(毒薬)で匕首を焠(染)めさせておきました。それを人に試せば、血が()るること(いとくず)くらいであっても、人で立ちどころに死なない者はなかったのです。そしてその匕首を(よそおわ)せてこのことのために荊軻に(おく)り、燕の勇士の秦舞陽(しんぶよう)を荊軻の副使として、秦に入らせました。

 悲壮な覚悟で荊軻は旅だちました。

 ここに『通鑑』の巻六、秦紀一は終わり、巻七、秦紀二が始まります。
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