国を護った人・田單(中)
文字数 2,046文字
他の七十余城はすでに攻略されているわけです。各城の大夫(守将)達は、齊を見捨て、燕に服属しています。燕は大軍で即墨を囲みました。それを三年持ちこたえたのです。
楽毅も手をこまねいていたわけではなく、力攻めは諦めましたが、計略を使い、少しずつ、少しずつ、即墨の人たちを遠巻きに囲んだうえで圧力をかけ、何人かずつ人を降伏させていきます。そして降伏した人たちが、厚遇をされているという情報を、即墨に伝えていきます。
しかし、即墨は落ちませんでした。
そして、希望が生まれます。楽毅を深く信用していた燕の
田單は新しい王が即位したと聞いて、そのお膝もとに噂を流させます。孫子の言う『五間(五つの間)』という計略のうち、反間という計略を使ったと言い伝えられています。
ひそひそとあちこちでささやく噂の声が燕で聞こえます。
「斉の王様が亡くなられてだいぶたった。攻め落とされてない城は二つ(
「楽毅は齊を攻略することを名目にして、本当は兵隊を掌握して、制度をととのえ、官僚を配し、齊王になろうとしているんじゃないか?」
「齊の民衆はまだ楽毅になついていない。だから即墨を攻める手を緩めて民衆がなつくのを待とうとしている。齊の人たちが恐れているのは、本当は他の将軍が来て、即墨が攻め落とされることじゃないか?」
この噂が、楽毅の耳にも、燕の新王のもとにも届きます。
楽毅は恐れ、新王は疑いました。そしてついに楽毅の代わりに
もともと、田單は神託を上手に使い、即墨の人を結束させたと伝えられています。
当時の人々は信仰深い人達でした。天や先祖を熱心に祭る風習があったと伝えられています。
そして田單も信仰深い人でした。その信仰が役に立ちます。田單は、食事の時も、まず先祖を祭るように言いつけました。やがて毎日毎日、祭られた食事を目当てに多くの鳥たちがやってくるようになります。
外から見ていて、毎日毎日鳥が集まってくるのを燕の兵士たちは不思議に思うようになりました。兵たちはやがて鳥たちが同じ時刻に集まり、城に宿ることを怪しむようになります。
田單はそれを聞き、利用しようと考えました。
伝えられているには、ある日、田單は宣言します。
「神の使いがおられて、私にお告げをくださっている」
信じる者と、信じないものがいたのかもしれません。田單が計略を仕掛けたのかもしれません。
ところがあることが起こります。城の民の中で「私は神のお使いだ」と語るものが現れたのです。事実を聞いた田單は問い詰めます。男は即墨から逃げ出そうとしますが、ついに捕まりました。田単はその男をどうしたでしょうか?罰したでしょうか?
田單はその男を立たせて皆の前に引きつれた上で、神のいます座におらせ拝礼し、あがめるようにしたのです。
男はそっと田單に
「私はあなた様を
田單は
「何も言うでない。いいのだ」
とでも伝えたのでしょうか。それからその人物、男は軍令を語るようになりました。その神のお使いの名前で軍令が出されるようになりました。そして人々はそれを信じるようになったのです。
神のお告げの中には妙なものもありました。
「神曰く、私が最も恐れていることは、燕の軍が齊の兵を降伏させたら、鼻を切り落として軍の前列に配置して見せしめにすることだ。即墨は戦意を落とし、破れてしまうだろう」
補足しておくと、鼻を切り落とす、というのは、当時の罪人の見せしめの、一般的な刑です。正確には、『
即墨の人たちはどうしたでしょう?戦意を喪失したでしょうか?いいえ、多くの人が憤激しました。鼻を削がれた人たちの中には、もちろん知っている人で降伏した人がいたでしょう。
この事件以降、即墨から降伏する兵はでなくなりました。