威王の御前会議

文字数 996文字

 桂陵(けいりょう)の戦いから十二年が()ちました。魏の子供たちは大きくなり、かつての大敗の傷も癒えました。

 龐涓(ほうけん)は趙の逃げ出した王子を追討することを名目にし、韓に攻め込みます。趙と秦とは(よしみ)を結んでおきました。万全の状況を創って、攻め込んだわけです。

 東の大国、斉の威王(いおう)のもとでは、会議が開かれました。韓から危急(ききゅう)を告げる使者がやってきたからです。使者は、自国を救ってほしいという親書を持ってやってきていました。会議は割れました。

「速く救うべきであるか、遅く救うべきであるか、意見を述べよ」

 威王の御前(ごぜん)で会議は開かれました。

 (しょう)である成侯(せいこう)鄒忌(すうき)は親・魏国の立場を取りました。

「救わないことにこしたことはありません」

 魏は今なお中原の大国でした。その軍は強く、鋭く、力を蓄えた今となっては、国力は戻ってきていました。

「もし韓を救わなければ、膝を屈して魏の門下に下ってしまいますぞ」

 親・韓国派の代表は田忌(でんき)でした。

「速く救うにこしたこしたことはありません」

 双方が主張を繰り広げ、自説を述べました。

 韓と魏の国の代理戦争が、斉の王の目前で繰り広げられていました。

 韓のために斉が派兵すれば、韓が救われる可能性が高い。一方、斉が派兵を見送れば、魏が有利になる可能性が高い。それぞれの主張は重みをもっていました。

 威王は臣下の激論を聞いています。

 孫臏(そんひん)がついに発言しました。

「もし韓と魏の軍隊が消耗しあわないうちに韓を救えば、我が軍は韓に代わって魏の軍を受けることになります」

 田忌が何か言いたそうにしましたが、孫臏はそれを制しました。

「一方で魏には韓の国を制覇(せいは)しようという意図があります。韓が亡ぼされれば、必ず東に向かって我が国へと攻め込んでくることでしょう」

 今度は鄒忌が何か言いたそうにしましたが、孫臏はそれを無視しました。

「我々は状況を長引かせるのが上策です。韓との同盟を深く強いものにしつつ、両者が戦って疲れるのを待つべきです。そうすれば、自然と局面は我々に有利になり、尊ばれ、我々の名は輝くでしょう」

(よろ)しい」

 田忌、鄒忌が何も言わないうちに、威王の言葉が響きました。

 斉は密かに韓の使者に兵の派兵を約束し、国許(くにもと)に返しました。韓はそのために斉を(たの)んで気が緩み、5回戦って、5回敗れました。魏の軍は韓を押し込みます。

 韓の催促(さいそく)の使者が、再び東へ、斉へと向かいました。ここに韓の依頼を受けて、斉は()ったのです。
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