襄王と田單
文字数 1,599文字
では、話を続けましょう。私にできるのは、自分にできることをすることのみです。
新しく齊王が位につきましたが、太史の敫 の女 を后とし、その女が太子の建 をうみました。太史の敫は申しました「女は媒 (仲人)を取らなかったので、そのために自ら嫁ぎました、吾が種ではない、吾 の世を汚してしまった!」と。そして終身、君王の后には謁見せず、君王の后もまた人の子たるの礼を失ったために謁見しませんでした。
わかりにくいのですが、当時の風習として、結婚する場合は男の方から求婚し、しかも媒(仲人?)をたて、昏(婚)礼の儀式を踏まえて嫁いでいくのが一般的でした。その礼を外れたから、娘を娘として扱わなかった。そういうことです。
田單は齊の国の相となり、淄水 を通り過ぎました。老人の淄水を渉ろうとし、寒そうにしているのにであいました、水から出ても凍えており行くことができなかったのです。田單はその裘 を解きて老人にきせました。襄王 はこのことをにくみ、いいました
「田單が人に施しをしたのは、ひょっとすると我が国を取ろうとしたのではないか!早く彼のことを考えないと、後の変事が起こることが怖くはないだろうか。」
左右を顧みるに人がいませんでした、しかし巖 の下に珠 を貫 いている者がおりました。襄王は呼んで問うてききました。
「汝 は吾 の言 を聞いたか?」、
彼は対 えていいました。
「ええ、聞きました」
王がおっしゃいました。
「汝 は何如 おもう?」
彼はまた対えていいました。
「王はこれに因んで己の善となさるがよい。王が單の善を嘉して、令を下しておっしゃるのです。『寡人 は民の飢を憂えたが、單は收容して彼らに食事をさせた。寡人は民の寒さを憂えたところ、單は裘を解いて彼にきせた。寡人は百姓を憂労し、單もまた憂えている、これは寡人の意に称 うものだ』と。單に是れらの善が有って王もこれを嘉する、單の善は王の善なのです!」
王はおっしゃいました。
「善し。」
そこで單に牛と酒を賜いました。
後、数日して,珠を貫く者はまた王に見えて申しました
「王は朝廷に日びよろしく田單を召して彼を庭に揖 し、口みずから彼を労 うべきです。そして令を布 いて百姓の飢寒 する者を求め,これらを収め穀物を与え養うべきです。」と。
そこで人をして閭里 に聴かせました。大夫の語り合う者は聞いて申しました。
「田單の人を愛するのは、嗟 、すなわち王の教えだったんだな!」と。
こののち、貂勃 が楚に派遣され、のち群臣の疑いが田單にかかるものの、それが解ける話があります。次話で触れることにしますが、この前後の事情について補足を。
まずこの下克上の世で、田單の人柄が注目されます。困っている人々に穀物を分けてやったり、裘、つまり皮衣で、かなり高価な着物なのですが、それらを老人に分けてあげたりしていることが注目されます。これらは孟嘗君 が行ったことに似ていますが、齊にはそのような習いがあったのかもしれません。
また田單が田氏であることも重要かもしれません。当時の齊の王室は田氏であり、田單は王室と同じ姓を持つということはなんらかの関係を持っていたことも考えられます。田單が必死に戦ったのも、同族を守るためという側面があったのかもしれません。
最後に巖下の珠を貫く人です。この人は襄王に的確なアドバイスをして、王家の施策を盛り立てています。管仲 に始まり晏平仲 や孟嘗君、そしてこの田單など、齊の国は賢人が多い国柄ですが、ここに出てくる無名の賢人の姿を見逃してはいけません。かれは当時の珠、宝石ですか?、を扱う人ですから、富裕な人だった可能性があります。そして学を積んでいた。そして襄王に助言をする機会を与えてもらっている、また襄王もその話を聞いている。
あくまでも余談なのかもしれませんが、当時の齊の富裕と、そこに住む人々の考え方、文化を示しており、興味深く感じます。
さて、田單の話はもう少し続きます。
新しく齊王が位につきましたが、太史の
わかりにくいのですが、当時の風習として、結婚する場合は男の方から求婚し、しかも媒(仲人?)をたて、昏(婚)礼の儀式を踏まえて嫁いでいくのが一般的でした。その礼を外れたから、娘を娘として扱わなかった。そういうことです。
田單は齊の国の相となり、
「田單が人に施しをしたのは、ひょっとすると我が国を取ろうとしたのではないか!早く彼のことを考えないと、後の変事が起こることが怖くはないだろうか。」
左右を顧みるに人がいませんでした、しかし
「
彼は
「ええ、聞きました」
王がおっしゃいました。
「
彼はまた対えていいました。
「王はこれに因んで己の善となさるがよい。王が單の善を嘉して、令を下しておっしゃるのです。『
王はおっしゃいました。
「善し。」
そこで單に牛と酒を賜いました。
後、数日して,珠を貫く者はまた王に見えて申しました
「王は朝廷に日びよろしく田單を召して彼を庭に
そこで人をして
「田單の人を愛するのは、
こののち、
まずこの下克上の世で、田單の人柄が注目されます。困っている人々に穀物を分けてやったり、裘、つまり皮衣で、かなり高価な着物なのですが、それらを老人に分けてあげたりしていることが注目されます。これらは
また田單が田氏であることも重要かもしれません。当時の齊の王室は田氏であり、田單は王室と同じ姓を持つということはなんらかの関係を持っていたことも考えられます。田單が必死に戦ったのも、同族を守るためという側面があったのかもしれません。
最後に巖下の珠を貫く人です。この人は襄王に的確なアドバイスをして、王家の施策を盛り立てています。
あくまでも余談なのかもしれませんが、当時の齊の富裕と、そこに住む人々の考え方、文化を示しており、興味深く感じます。
さて、田單の話はもう少し続きます。