臨武君と荀子の議論(仁人の兵)

文字数 2,362文字

さて、ここで閑話休題(よこみちそれるよ)、というか、『通鑑』は兵法を論ずる個所(かしょ)をながながと置いています。これは、ここから描かれる個所と、この議論がリンクしている可能性があります。

 どうも『荀子(じゅんし)』の中の一章のようですが、私は原文を読んでいません。とりあえず、胡三省の注を参考に意訳してみて、のちほど修正をかけれたらかけてみます。

 荀子(じゅんし)臨武君(りんぶくん)という人の議論のようです。

 さて楚の春申君(しゅんしんくん)荀卿(じゅんけい)蘭陵令(らんりょうれい)としました。

 荀卿という人は、趙の人で、名は(きょう)といい、かつて臨武君と兵(戦い)について趙の孝成王(こうせいおう)の御前で論争をしたことがありました。

 王はおっしゃられた。

「兵(戦い)での要(大事なこと)を問いたい。」

 臨武君がこたえて申し上げました。

「上は天の時を得て、下は地の利を得ることが大事です、敵の変化や動きを見て、後から発したり(あとから変化したり)、先に至ったり(機先を制したり)して、天の時、地の利を得ます、これこそ用兵の要術なのです」

 荀卿が申し上げました。

「しからず(不然、そうではございません)、臣の聞くところの(いにしえ)の道では、およそ用兵攻戦の本は、一人の民に在ります。

 弓矢が調(とと)のわなければ、そこでは弓の名手・羿(げい)ですらあてることができません。六馬が調和しなければ、そこでは名御者・造父(ぞうほ)ですらそのために遠くへ行けないのです。士民が親しみなつかなければ、そこでは湯王(とうおう)や、武王(ぶおう)のような名君ですらそのために必勝を期することができなくなります。

 そのために善く民をなつけるもの、つまりそのようなものこそ善く兵を用いるものなのです。だから兵(戦い)の(かなめ)は民をなつけることにこそ在るのです。」

 臨武君は申しました。

「そうではございません。兵(戦い)の(とうと)ぶところのものは勢いと利・不利で、行うものは変化や(いつわ)りにあります。善く兵を用いるものは感忽(かんこつ)させ悠暗(ゆうあん)させ(胡注では『感忽』を『恍惚となって理解ができない』、『悠暗』を『遠くから視てわからない様子』としています)、どこから出現するか分からなくさせます。孫子、呉子はこれを用い、天下に無敵でありました。

 このような術があれば、どうして民をなつけるようなことを待つことが必要でありましょうや!」

 荀卿は申しました。

「そうではございません。臣の申しておるのは、仁人(じんじん)の兵で、王者の(こころざし)でございます。臨武君の重視しているものは、権(仮の道か)・(はかりごと)(いきおい)()にございます。仁人の兵を、(たばか)ることはできません。権謀勢利で(たばか)ることができる相手とは、怠慢なものであり、露袒する者(裸になるもの、と、胡注にあり、無防備なものという意か)なのであり、君臣の上下の間が滑然として(乱れて)德を離れておる者なのです。

 だから桀王(暴虐で有名な古の王)が桀王をたばかれば、巧拙はあってどちらが恵まれているのかがあるのです。桀が堯帝(名君として有名な古の王)をたばかろうとすれば、(たと)えるのならば卵を石に投げるようなもの、指で沸騰する水をかき混ぜるようなものです、水火に飛び込むようなものであって、入れば焦げるか溺れるしかないのです。

 だから仁人の兵は、上下が心を一つにし、三軍が力を同じくします。

 仁人の兵の様子とは、臣の君に対する様子が、下の上に対する様子が、子の父につかえるようで、弟の兄につかえるようで、手やひじの頭や目を防ぎ、胸や腹を覆うようなものなのです。詐術でその兵を襲っても、先が驚いても後ろが相手を迎撃し、一つに力をあわせて戦います。かつ仁人は十里の国を用いれば、すなわちまさに百里を見抜く力があり、百里の国を用いればまさに千里を見抜く力があり、千里の国を用いればまさに四海を見抜く力があり、必ずまさに聡明(そうめい)であり、警戒(けいかい)し、詐術(さじゅつ)を入れないのです、(なご)み附して一つとなるのです。

 だから仁人の兵は、(あつま)ればそこで集団となり、散ずればそこで列(陣形)をなします。延びれば莫邪(ばくや)の長刃のようであり(莫邪とは、呉の国にあった宝剣・長戈のことか)、これにふれるものは断ちます。鋭いことは莫邪の利鋒のようであり、これに当たるものは潰えます。円のようにして居ったかと思うと方(四角)のようにとどまり、盤石の石のようで、このように変化するものに触れるものはぺしゃんこにされて退くだけであります。

 さらにそもそも暴国の君のもとには、いったい誰が味方しましょうぞ?

 国君がそのやってくるのを頼むものは、きっとその民でありましょう。その民の我に親しんで(よろこ)ぶこと父母のようで、その我を好んで香りを楽しむこと椒蘭(しょうらん)(香りがよいもの)のようであるのに対し、その上のものを顧みれば罪人のよう、仇讎(かたき)のようであるでありましたならば、人の情としては、桀王や、跖(盗跖、古の大泥棒として有名)といえども、どうしてあえて憎んでいるものに(くみ)することがありましょうや。民の好むものを痛めつけることがありましょうや!

 これこそ人の子孫をしてみずからの父母を痛めつけさせようとするようなものでありましょう、無駄でございます。だから彼の国のものは必ずやってきて告げましょう「仁人を(たばか)ることはできません」と。

 そこで仁人を用いれば、国は日び明らかに、諸侯の先に順う者は安く、後に順う者は(あやう)く、敵する者は削られ、(そむ)く者は亡ぶのです。

 詩に申しておるではありませんか、

『武王、發((はた))を()す、(また)(かた)(えつ)()る,火の烈烈たる如く、則ち我を敢て(とど)むること()し』と。

(商頌と胡注にある、『詩経』商頌、長發(ちょうはつ)の詩、集英社・漢詩選『詩経(下)』高田真治先生の訳を参照した。意味は意訳できない、自分の能力を超えています)

 これこそこのことなのです」


 長くなりましたので、一旦ここで止めます。また意味がわかりにくければ修正をかけます。話はまだ続きます。

 これは秦の勃興を考えるためのこの章の序文になっているようです。
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