田單と孟嘗君
文字数 1,152文字
さて田單 の話は次で最後になります。またのちにも出てきますが、言及はこれほど詳しくはありません。
田單が狄 という齊の地を攻めようとしたとき、往って魯仲連 という人にあいました。魯仲連は申しました。
「将軍が狄を攻められても、下すことはできません。」
田單は答えました
「臣は即墨 の亡びかけの少ない兵卒で萬乘の軍の燕を破りました、そして齊の廃墟をよみがえらせたのです,今、狄を攻めて下せないとは、どういうことですか?」
そうして戦車にのり、謝礼も言わずに去り、そのままで狄を攻めました。三月たっても克 てません。齊の小兒 が謠 いました。
「大冠(武装)が箕 のようだよ、長剣で頤 を拄 えているよ、狄を攻めて下せないで,枯れた骨が(積み重なって)塁 となり丘になるよ。」
田單はそれを聞いて懼 れました。歌というものは、世相を反映するものですから。魯仲連に問うて言いました。
「先生は、單が狄を下すことができぬと申されました、請うらくはその御説をお聞かせください。」
魯仲連は申しました。
「将軍が即墨におられるには、坐れば蕢 (草の器)を織り、立てば鍤 で荷を担い、士卒のために歌われました『往くべきところはない!宗廟が亡びようとしている!今日を尚 おう!何れの党にかえろうぞ!』今回の戦いに負ければ、あなたに行く場所はありませんでした。この時に当たって、将軍には死を覚悟する心があり、士卒には生に執着する気はなく、君の言葉を聞いて、涙をぬぐい臂 をふりまわして戦おうとしないものはなかったのです、これが燕が破られた理由です。今になって将軍には東に夜邑 の奉邑があり、西に淄水 の上 の娛 があります、黄金の横帯をしめて淄水、澠水 の間を馬で駆け回り楽しまれる、生きる楽しみがあって、死を覚悟する心はありません、それが勝てない理由です。」
田單はいいました。
「單の心がどうであるか、先生これをよく記しておいてください。」
明日 、将である田單がすぐさま気を厲 しくして城をめぐり、矢や石の飛んでくる所に立ち、枹 を取り鼓 をうちました。狄の人はすぐさま下ったといわれます。
かつて、齊の湣王 が既に宋を滅ぼしてから、孟嘗君 をのぞこうと望むことがありました。
(二十九年に齊が宋を滅ぼし、その先に宋が薛 を滅ぼした、そう『通鑑』の記事は書かれていることを胡三省が指摘しています。ここではそれを措きます。)
孟嘗君は魏に逃げ出しました、魏の昭王 は相とし、諸侯と共に齊を伐ちて破りました。
湣王が死に、襄王 が国を恢復 して、孟嘗君は中立の立場を取り諸侯となっていました、屬するところがなかったのです。襄王が新たに立ち、孟嘗君を畏 れ、孟嘗君と和を保ちました。
孟嘗君が亡くなるに及び、その子どもたちはあとつぎを争い、齊と魏が薛を滅ぼし、孟嘗君のあとつぎはいなくなりました。
田單が
「将軍が狄を攻められても、下すことはできません。」
田單は答えました
「臣は
そうして戦車にのり、謝礼も言わずに去り、そのままで狄を攻めました。三月たっても
「大冠(武装)が
田單はそれを聞いて
「先生は、單が狄を下すことができぬと申されました、請うらくはその御説をお聞かせください。」
魯仲連は申しました。
「将軍が即墨におられるには、坐れば
田單はいいました。
「單の心がどうであるか、先生これをよく記しておいてください。」
かつて、齊の
(二十九年に齊が宋を滅ぼし、その先に宋が
孟嘗君は魏に逃げ出しました、魏の
湣王が死に、
孟嘗君が亡くなるに及び、その子どもたちはあとつぎを争い、齊と魏が薛を滅ぼし、孟嘗君のあとつぎはいなくなりました。