長平からの戦い、終わる -三人の人物ー

文字数 1,397文字

 さてここには3人の人物があらわれます。メインの流れとして登場するのは、白起、魏公子・無忌(信陵君)、平原君の3人です。

 ここに長平の戦いからの流れは、一旦終結、グランドフィナーレを迎えます。

 白起(はくき)は病が癒えず、王から剣を贈られて、自殺します。侯生(こうせい)も剣で命を絶ったといわれていますが、よく似た風習があったのかもしれません。

 亡くなった白起を秦の人々は祭ったとありますから、民から慕われた白起の様子がうかがわれます。

 名将と呼ばれる軍隊の指揮者には、天才的な軍略を発揮する、という人もいますが、それに加えて人の心を掌握するに長けた人を名将と呼ぶことが多いです。兵をして死地に赴かせ、奮って戦わせる。白起のために死んだ人間からは、恨みを買うことが多いはずです。しかし、秦においては(うら)みを買うようなことはなかった。

 昭襄王(しょうじょうおう)がほんとうに剣を与え、死ぬことを強制をしたのかどうかは注意深く調べる必要があると思いますが、白起があれだけの軍事行動を行ったにもかかわらず、民からこれだけ慕われていたということは、その人柄が(うかが)えます。白起という人はよほどの人格者だったのかもしれません。そして、秦に(じゅん)じた。

 一方で信陵君(しんりょうくん)は趙を救い、中原の平和を取り戻し、秦を防ぎ、その勢力伸長に待ったをかけました。趙からは手厚い待遇を受け、あいかわらず市井(しせい)の人間と交わっては気ままな生活をしているようです。

 しかしその隙間からうかがえる無聊(ぶりょう)の風を感じませんか?

 魏を裏切り、他国に寄寓し、扶持としては一つの邑のみ。夕方まで飲んだくれて、王からは感謝のしるしまで削られる始末。自分には無忌の悲哀が感じられるのですが、気のせいでしょうか。自分の背景を持たない、もしくは失った悲しみが感じられるのですが。

 食えない、印象に残らないで、実は己を貫いているのが、平原君かもしれません。

 この状況で、幼君と老太后を支え、平原君は趙を守るため獅子奮迅の活躍を見せます。

 楚を動かし、魏からは信陵君・無忌の大軍を引き出すことに成功し、秦とは時には和睦交渉などもし、齊の魯仲連(ろちゅうれん)も実は平原君の影響下で動いていたことがここに明らかになります。

 信陵君・無忌は、平原君に対し、ここで、あなたは豪挙(豪傑のふりをするもの)とのみ付き合っている、そう非難の言葉を浴びせています。本当の「士」とはつきあっていない、そう信陵君は叫んでいます。

 しかしその平原君の付き合っていた豪挙、信陵君を筆頭に、魯仲連や楚の君臣などの働きで、趙の国は守られたことを忘れてはいけないと思います。

『論語』に宰予という弟子が出てきます。ひたすら出来の悪い弟子として記録されている弟子です。しかし実は彼は自分に対して厳しかった、孔子が自分を批判したことを心に深くとどめ、自らに厳しかったゆえに自分の悪評を進んで記録し遺した、だからあのような文章が『論語』に遺されたともいわれています。

 公子の弟子にも仲由・子路のような、勇猛、果敢な人物もおり、信陵君を連想させます。しかし一方では、できの悪さをよく指摘される子貢のような人物もおり、宰予のように、孔子の叱声しか残していない人物もいます。人はそれぞれです。

 平原君もまた、白起、信陵君と並ぶ、味わい深い人物に思えるのですが、それもまた、考えていただければ幸いです。

 さて話は、まだ続きます。そろそろ呂不韋(りょふい)があらわれる頃かもしれません。
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