荀子、さらに孝成王、臨武君に説く

文字数 1,274文字

 荀子(じゅんし)の話を受け、孝成王(おうせいおう)臨武君(りんぶくん)は申しました。

「善し、では将となることを問いたいとおもう。」

 荀卿(じゅんけい)(荀子)は申しました。

「(将について、将が)①『知』であることは、疑計を棄てるより大なることはなく、『行』であることは、過ちが無いことより多きことはなく、『事』については、悔いがないより大きいことはない。

 ②事が悔いなくして止まるようになれば、必勝をおもうようなことはできない。だから政令を制し号し、そして威を厳にしようとする。

 ③慶賞刑罰は、必ず信をもってしようとする。

 ④処舍(しょしゃ)営塁(えいるい))・收藏(財物)は、固く奪われないよう入念にしようとする。

 ⑤徙舉(しきょ)・進退は、重きをもってやすんじようとし、速きをもって敏捷(びんしょう)にしようとし、敵を(うかが)い変を観て、(間諜(かんちょう)を)深くに(ひそ)ませようとし、(変幻して)参人(三人)を伍人(五人)にみせかけようとする。

 ⑥敵に遇い戦いを決すれば、必ず自分の知るところを行い、自分の疑わしいことは行わない。

 これをこそ六術というのだ。

 ①常に将としての存在であろうとして権勢を失うことをいやがる(おそれる)ことはなく、②勝ちにおごって敗をわすれることなく、③內に威を払って外を軽んじるようなことはなく、④その利のみをみてその害を(こころ)みないことはなく、⑤およそ事を(おも)んばかっては熟そうとし、財をもちいては(やす)からんとする、それこれこそを五権というのです。

 将の命令を主人に受けない理由は三つあります。①殺されるべきだとしても、軍を不完全な場所に()らしめないようにするべし、②殺されるべきだとしても、勝てないものを撃たしめないようにすべし、③殺されるべきだとしても、百姓を(あざむ)かしめないようにするべし、これこそを三至というのだ。

 およそ命を主人にうけて三軍をやり、三軍、すでに定まり、百官、秩序を得て、群物みな正しければ、そうなれば主人は喜ぶことはできず、敵は怒ることはできない、これこそを至臣というのだ。

 思慮は必ず事を先にしてこれを申(伸)べるに(けい)をもってし、終りをつつしむこと始めのごとく、始終が一(の敬に(つらぬ)かれている)のごとき、これをこそ大吉というのだ。

 およそ百事の成るや必ずものを敬するにあり、その(やぶ)るるや必ずものを(あなど)るにある。だから(けい)(たい)にまさればすなわち吉であり、怠が敬にまされば(ほろ)びるのです。計が欲にまされば兵は従い、欲が計にまされば凶なのです。戦うは守るようで、行くは戦うようで、功があるのは幸いであるようなのこそ、敬の態度なのです。

 ①敬謀無曠(敬謀は廃るるなく)、②敬事無曠(敬事は廃るるなく)、③敬吏無曠(敬吏は廃るるなく)、④敬眾無曠(敬衆は廃るるなく)、⑤敬敵無曠(敬敵は廃るるなし)、これこそを五無曠というのです。

 慎んでこの六術、五權、三至を行い、これにおりてもって恭敬、無曠であれば、これをこそ天下の将といい、そして神明につうじるものなのです。」

 少し短いですが、ここまでにします。荀子の話は、次で終わりです。次回、すこしまとめるかもしれません。わかりませんが。ここ、自分にもちょっとわかりにくかったと思うので。
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