此の奇貨居くべきか!

文字数 1,629文字

 さて秦の太子の妃を華陽夫人(かようふじん)といいました。

(おそらく湯沐(とうもく)の邑が華陽にあったので、それで呼び名となったのでしょう)

 子供はおりませんでした。

 夏姫(かき)と申すものが、異人(いじん)という子を産みました。

 異人は趙に人質となりました。秦はたびたび趙を伐ちましたので、趙の人は異人を礼遇しませんでした。

 異人は太子の(いや)しい庶子(しょし)で、諸侯に人質となったものでしたので、車乗(馬車)や財物の贈り物にも余裕がなく、居処(すみか)も困って思うままになりませんでした。

 陽翟(ようてき)大賈(だいしょうにん)呂不韋(りょふい)邯鄲(かんたん)にゆき、異人と出会うことがあり、申しました。

「此奇貨可居!(此の奇貨居くべきか!)」

 呂不韋は商人でしたから、異人の価値を奇貨、貴重な宝に例えたわけです。

 すぐさまいって異人に会いました。そして説いて申しました。

(わたし)(あなた)の門をおおきくしてみせましょう!」

 異人は笑っていいました。

「そしてそれによって君の門を大きくしよう!」

 不韋は申しました。

(あなた)は知らないのですか、吾が門は子の門を待って大きくなるのです。」

 異人は心に呂不韋の申すところに感じることがあり、すぐさま側に寄せて坐を与えました、そして深く語りました。

 不韋は申します。

「秦王は老いられております。

 太子は華陽夫人を愛されています。しかし夫人にはお子がございません。(あなた)の兄弟は二十余人おられますが、子傒(しけい)が秦国の業をつぎ、士倉(しそう)がまた王太孫を(たす)けることになっております。

 子(あなた)は中子(真ん中に位置する太子、嫡子でも末っ子でもないということ)ではあるものの、はなはだしくは寵幸はされず、久しく諸侯のもとに人質となっておられました。

 太子が即位されれば、(あなた)は嗣(跡継ぎ)たることを争うことはできないでしょう。」

 異人はいいました。

「しからばそこでどうすればいいのだ?」

 不韋は申しました。

「適嗣を立てることができる者は、ひとり華陽夫人のみでございます。

 不韋は貧しいといえども、千金で(あなた)のために西游(秦へ行くこと)させてください、子を立てて(あとつぎ)としてみせましょう。」

 異人はいいました。

「きっと君の策のようになるのなら、秦国を分けて君と共にすることもできるであろう。」

 ここに協力関係は結ばれたのです。

 不韋はすぐさま五百金を異人に与え、賓客と交友させました。また五百金で奇物(きちょうなもの)玩好(しこうひん)を手に入れました。それらを自ら奉じて西へといき、華陽夫人の姉にあって、奇物を夫人に献じて、その機会に太子の子の異人の賢を誉めました。賓客は天下に(あまね)く、常に日夜、太子や夫人のことを泣いて思っているとし、申しました。

「異人さまは夫人を天となされております!」

 夫人は大いに喜びました。

 不韋はそこでその姉に夫人を説かせて申しました。

「そもそも色で人につかえる者は、容色(ようしょく)(おとろ)えればそこで愛が(ゆる)みます。今、夫人は愛されておられるものの子供がおられません。繁華の時に(つと)に自ら諸子の中で賢かつ孝なるものと結び、あげて適子としておけば、つまり容色が衰え愛が弛んでも、一言申したいと思えば、なおできるのです!

 今、子の異人さまは賢で、しかも自ら中子(真ん中の子)で、嫡子となることができないことをご存知です。夫人がこころから此の時をみて異人さまを抜擢なされば、これこそ子の異人さまは国がなかったのに国があり、夫人さまは子がなかったのに子が有ることになり、そして終身、寵を秦に保つことができるのです。」

 夫人はそうであると思い、間を承けて太子に言って申し上げました。

「子の異人は群を抜いて賢しこく、往来するものはみな異人を称譽(しょうよ)(ほめる)します」

 そして泣いて申しました。

(わらわ)には不幸にして子がおりません、願わくば子、異人を得て立ててそして嫡子にいたしましょう。そして(わらわ)の身を(たく)しとうございます!」

 太子はそれを許しました。夫人と玉符(契約のしるし)を刻し、約して異人を(あとつぎ)とし、そして厚く(はなむけ)して異人に贈りました。そして呂不韋にそれを伝えさせました。

 異人の名譽は諸侯に盛んとなりました。
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