修正

文字数 744文字

 以前、各国の地図を描いたのですが、もう少し説明を付け加えさせていただきたいと思います。

 以前、単純化して各国の配置を描きましたが、今日、改めて『中国歴史地図集』という本を開いてきました。今回描く桂陵(けいりょう)の戦いでは、地理的な条件が非常に重要となるからです。少しこの前書いた図に修正を加えとておきます。

 本当は地図を載せればいいのですが、著作権や引用の根拠について不安があるため、引用というか、掲載は控えます。

 前回は四方を秦・楚・斉・燕が囲むというふうに描きましたが、『歴史地図集』では、西北方に趙がおり、東北方に燕がおる、というのが正しい認識のようです。そして趙と燕の間には中山という国が存在しており、楚と斉の間には宋という国が、宋の北の斉と楚の間に魯という国が描かれていました。
 それぞれ最近の知見を基にした国々の位置取りのようです。淮水(わいすい)泗水(しすい)の間の国々は描かれていませんでした。

 趙・魏・韓の領地についても単純化しましたが、だいたい秦と接しているのが魏、西北にあるのが趙、という認識はあったのですが、韓は東南ではなく魏に囲まれるようにして南方にあり、nの字のように曲がった魏の領土の中に入って、楚と接していました。どちらかというと、縦に北から趙・魏・韓、そして楚、というように並んでいたと描かれています。

 魏の国は大きく垂れ下がった枝のように曲がって存在しており、西方に安邑(あんゆう)曲沃(きょくよく)、東方に濮陽(ぼくよう)大梁(たいりょう)のような都市があったふうに描かれています。

 以前にも述べましたが、当時の国々は都市国家であり、入り組んだ都市の間に、まだ開発されていない土地が存在していました。地図化するのはなかなか難しかったと思います。

 ともかく、少し修正したうえで当時の状況を見ていただければ、わかりやすいと思います。
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