春申君、非業の死を遂ぐ
文字数 1,955文字
楚の考烈王 には子がなく、春申君 はこれを患 えて、婦人の子を産めそうな者、甚 だたくさんを、考烈王に進めたものの、ついに子がありませんでした。
趙の人で李園 というものにその妹がおり、妹を楚王に進めようとしましたが、その子を産むことが難しいことを聞き、久しく寵 なからんことを恐れ、そこでまず春申君の舍人となることを求めました。已に拝謁して帰りましたが(ここ主語不明、校勘が必要だったかもしれない)、わざと帰る期限を失って還りました。
春申君は李園に問いました。
李園が申すよう「齊王が人をして臣の妹を求められました。その使者と飲んでおりましたので、そのために期限を失った(遅れた)のでございます。」
春申君が申されました。
「聘入 するか?」
李園は「いまだし」と答えました。
春申君はついにその妹を自らに納れました。しばらくして妊娠しました。
李園はその妹をして春申君を説かせて申させました。
「楚王は君 を貴幸 されている。兄弟といえども及びません。今、君が楚に相 たること二十余年にして王に子なく、そこで王がなくなられたならまさに王の兄弟を立てようとなさるでしょう。
そうすると王の兄弟もまたおのおのそのために親しんでいるところのものを立てようとするでしょう、君はまたどうしてこの寵愛を続けて保つことができましょう!ただそれのみではございません。君が貴く、事を用いること久しければ、礼を王の兄弟に失うこと多く、兄弟が立てば、禍 はまさに身に及ばんとするでしょう。
今、妾 に妊娠のしるしがあって人に知るものがございません、妾が君に幸 いせられることいまだ久しくありません。誠に君の重きをもって、妾を王に進めれば、王は必ず妾を幸いするでしょう。
妾が天に頼 りて男子があれば、つまりこれは君の子が王となるのです。楚國はことごとく得ることができるでしょう。どうして身が不測 の禍 に臨 むようなことがありましょうや!」
春申君は大いにこのことを然 りとしました。そこで李園の妺を出 だし、館舎を謹 しんで(別けて)このことを楚王に告げました。王は李園の妹を召し入れ、そして寵愛しました。ついに男子を産み、立てて太子としました。
李園の妹が王の后となり、李園もまた様々なことに貴用 されましたが、春申君がその語 を洩 らすことを恐れ、ひそかに死士 を養い、春申君を殺してそして口を封じようとしました。
楚の人にはすこぶるこのことを知る者が多くおりました。楚王が危篤 となり、朱英は春申君に告げて申しました。
「世に無望 (存外)の福あるも、また無望の禍あり。今、君は無望の世におり、無望の主に仕え、どうしてもって無望の人がなかるべけんや!」
無望とはいったいどういうことでしょう?
春申君は申しました。
「何をか無望の福というのだ?」
答えて申しました。
「君、楚に相 たること二十余年となり、名は相国 といえども、その実は王でございましょう。
王が今、危篤になられ、旦暮(朝・夕)にも薨ぜられそうであり、薨ぜられれば君は幼主に相となられ、因りて国にあたられるでしょう。王が長ぜられて政 を返せば、遂に南面して孤を称されるのではございませんか、これはいわゆる無望の福というものでございましょう。」
「何をか無望の禍という?」
答えて申しました。
「李園 は国を治めておりませんが君の仇 でございます。兵をおさめて死士 を養うの日は久しうございますでしょう。王が薨ぜられれば、李園は必ず先 ず入るでしょう、権 に拠 りて君を殺しそして口を封じるでしょう。これはいわゆる無望の禍でございます。」
「何をか無望の人という?」
また答えて申し上げました。
「君よ、臣 を郎中 に置きなさい、王が薨 ぜられれば、李園が先ず入るでしょう、臣が君がために李園を殺しましょう、これがいわゆる無望の人なのです。」
春申君は申しました。
「足下(朱英よ)、これを置け。李園は、弱き人 である。僕もまた李園と善い(仲がいい)。まさにどうしてそのようなことに至ろうか!」
朱英は言が用いられないことを知り、おそれて逃げ去りました。のち十七日して、楚王が薨じ、李園が果して先に入りました。死士を棘門(寿春の宮殿の門という)の内に伏せました。
春申君が入り、死士が両側からその人を刺しました。その首を棘門の外に投げました。これより吏をしてことごとく春申君の家のものを捕らえて誅させました。
太子が立ちました。これを幽王 と申します。
揚子 の『法言』に申しております。
或るひとが問いました。
「信陵 、平原 、孟嘗 、春申 は国に益であったか?」と。
揚子 は答えられました。
「上はその政 を失い、奸臣 が国の命をぬすんでしまった、どうしてその益があろうや!」と
秦王は文信侯 ・呂不韋 が先王を奉じるに功が大きかったので、誅 するに忍びませんでした。
趙の人で
春申君は李園に問いました。
李園が申すよう「齊王が人をして臣の妹を求められました。その使者と飲んでおりましたので、そのために期限を失った(遅れた)のでございます。」
春申君が申されました。
「
李園は「いまだし」と答えました。
春申君はついにその妹を自らに納れました。しばらくして妊娠しました。
李園はその妹をして春申君を説かせて申させました。
「楚王は
そうすると王の兄弟もまたおのおのそのために親しんでいるところのものを立てようとするでしょう、君はまたどうしてこの寵愛を続けて保つことができましょう!ただそれのみではございません。君が貴く、事を用いること久しければ、礼を王の兄弟に失うこと多く、兄弟が立てば、
今、
妾が天に
春申君は大いにこのことを
李園の妹が王の后となり、李園もまた様々なことに
楚の人にはすこぶるこのことを知る者が多くおりました。楚王が
「世に
無望とはいったいどういうことでしょう?
春申君は申しました。
「何をか無望の福というのだ?」
答えて申しました。
「君、楚に
王が今、危篤になられ、旦暮(朝・夕)にも薨ぜられそうであり、薨ぜられれば君は幼主に相となられ、因りて国にあたられるでしょう。王が長ぜられて
「何をか無望の禍という?」
答えて申しました。
「
「何をか無望の人という?」
また答えて申し上げました。
「君よ、
春申君は申しました。
「足下(朱英よ)、これを置け。李園は、弱き
朱英は言が用いられないことを知り、おそれて逃げ去りました。のち十七日して、楚王が薨じ、李園が果して先に入りました。死士を棘門(寿春の宮殿の門という)の内に伏せました。
春申君が入り、死士が両側からその人を刺しました。その首を棘門の外に投げました。これより吏をしてことごとく春申君の家のものを捕らえて誅させました。
太子が立ちました。これを
或るひとが問いました。
「
「上はその
秦王は