和氏の璧 (上)
文字数 1,802文字
趙王は楚の有名な和氏 の璧 という宝玉を手に入れました。
『爾雅 』という字書には分厚さが大きい玉を璧と呼び、外が円形にして天をかたどり、內は方形にして地をかたどる、といいます。
和氏の壁とはどういうものだったかについても、少しふれておきましょう。
楚の人に卞和 というものがおり、玉の原石を手に入れました、そして玉を楚の厲王 に献上しました。王は玉つくりに玉を視せました。玉人は言いました。
「石です」
王はそこで卞和をふとどきものとし、その左足を刖 しました。武王が立つと、和はまた玉を献じました。別の玉をつくる者だったのでしょうか、また申しました
「石でございます」
王はまた偽りだと思いその右足を刖しました。
文王が立ちました。
和は玉の原石を抱き、荊山 のふもとに泣きました。王はその噂を聞き、はじめて玉人にその原石を磨かせました。それは素晴らしい宝となりました。そこで命じて「和氏の璧」となづけたのです。
趙の王がこれを手に入れたわけですが、秦の昭王 が噂を聞き、これを欲しました。
十五城と引き換えにしよう、そう申し出たといいます。
趙王は与えたくありませんでしたが、秦の強さをおそれていました。与えれば、欺かれるのをおそれました。そこで藺相如 という人物に尋ねました。
ここからは有名な故事なので、『史記』を引用して、少し語ってみましょう。
藺相如という人は、もともと趙の人です。趙の宦者(宦官)の長官(宦者令)の、繆賢 の舍人 でした。
先に述べたように、趙の惠文王 の時に、趙は楚の和氏の璧を手に入れ、秦の昭王はそれを聞いて、人を使って趙王に書簡を送り、十五城と璧を交換することを求めました。趙王は大将軍の廉頗 や諸大臣と相談し、秦に与えようとしましたが、秦城が手に入るとは到底思えず、ただ欺かれるだけだろうと思いました。与えないでおこうとも思いましたが、そうすれば秦の軍がやってきます。方策が決めらないでいましたので、ともかく秦に使いする者を求めようとしましたが、それすら見つかりませんでした。
宦者令の繆賢が申しました
「私の舍人の藺相如なら使いすることができるでしょう」
王は聴きました。
「どうしてそれがわかるのだ」
繆賢はお答えしました。
「私はかつて罪を犯し、ひそかに燕に逃げ去ろうとしたことがあります。その時、私の舍人の相如が私を止めて申しました。
『君にはどのように燕王を思われているのですか?』
私は諭して申しました。
『私は大王に付き従って燕王と国境のあたりでお会いしたことがある、燕王はひそかに私の手を握り、「どうか友人になってください」とおっしゃられた。そこで私は燕王のことを知り、だからこそ行こうと思っているのだ』
相如は私に言い聞かせて言いました。
『そもそも趙は強く燕は弱いのです、だから君が趙王に幸いを得ておられるから、燕王は君と交誼 を結ぼうとされたのです。今、君は趙を逃げて燕へ行かれますが、燕は趙を恐れ、勢い必ず君を留めないでしょう、さもなくば君を拘束して趙に帰すでしょう。君は肉袒 (はだぬぎ)になって斧質 (おの)を首筋にあてて罪を請うべきです、そうすればうまくいけば困難を脱出できるかもしれません。』
私はその計略に従いました。大王も幸いに私を赦免してくださったのです。私がつらつら考えますに、藺相如こそ勇士で、智謀もあり、使いができる人間でございましょう」
そこで王は召喚し、藺相如に尋ねてみました。
「秦王は十五城を寡人 の璧と代えようと申しておる、与えないですむか?」
相如は申しました。
「秦は強く趙は弱おうございます、許さなければならないでしょう」
王は続けました。
「私の璧を取って、城を与えなければ、どうするのだ?」
相如は申しました。
「秦は城で璧を求めていますが趙が許さなければ、曲(過ち)は趙にございます。趙が璧を与えて秦が趙に城を与えなければ、曲(過ち)は秦にあるのです。二策を比べてみますに、許して秦に過ちを負わせた方がよろしゅうございます」
王は言いました
「誰が使者になるのだ」
相如は答えました。
「王のもとにはきっと適任がおらぬでしょう、私に璧を奉じて使いに行かせていただければ。城が趙に入るのでございましたら璧を秦に留め、城が入らないのでございましたら、私は璧を完して趙に帰したいと思います」
そこで趙王はこの言葉により、はじめて相如に璧を奉じて西の秦へ赴かせました。
『
和氏の壁とはどういうものだったかについても、少しふれておきましょう。
楚の人に
「石です」
王はそこで卞和をふとどきものとし、その左足を
「石でございます」
王はまた偽りだと思いその右足を刖しました。
文王が立ちました。
和は玉の原石を抱き、
趙の王がこれを手に入れたわけですが、秦の
十五城と引き換えにしよう、そう申し出たといいます。
趙王は与えたくありませんでしたが、秦の強さをおそれていました。与えれば、欺かれるのをおそれました。そこで
ここからは有名な故事なので、『史記』を引用して、少し語ってみましょう。
藺相如という人は、もともと趙の人です。趙の宦者(宦官)の長官(宦者令)の、
先に述べたように、趙の
宦者令の繆賢が申しました
「私の舍人の藺相如なら使いすることができるでしょう」
王は聴きました。
「どうしてそれがわかるのだ」
繆賢はお答えしました。
「私はかつて罪を犯し、ひそかに燕に逃げ去ろうとしたことがあります。その時、私の舍人の相如が私を止めて申しました。
『君にはどのように燕王を思われているのですか?』
私は諭して申しました。
『私は大王に付き従って燕王と国境のあたりでお会いしたことがある、燕王はひそかに私の手を握り、「どうか友人になってください」とおっしゃられた。そこで私は燕王のことを知り、だからこそ行こうと思っているのだ』
相如は私に言い聞かせて言いました。
『そもそも趙は強く燕は弱いのです、だから君が趙王に幸いを得ておられるから、燕王は君と
私はその計略に従いました。大王も幸いに私を赦免してくださったのです。私がつらつら考えますに、藺相如こそ勇士で、智謀もあり、使いができる人間でございましょう」
そこで王は召喚し、藺相如に尋ねてみました。
「秦王は十五城を
相如は申しました。
「秦は強く趙は弱おうございます、許さなければならないでしょう」
王は続けました。
「私の璧を取って、城を与えなければ、どうするのだ?」
相如は申しました。
「秦は城で璧を求めていますが趙が許さなければ、曲(過ち)は趙にございます。趙が璧を与えて秦が趙に城を与えなければ、曲(過ち)は秦にあるのです。二策を比べてみますに、許して秦に過ちを負わせた方がよろしゅうございます」
王は言いました
「誰が使者になるのだ」
相如は答えました。
「王のもとにはきっと適任がおらぬでしょう、私に璧を奉じて使いに行かせていただければ。城が趙に入るのでございましたら璧を秦に留め、城が入らないのでございましたら、私は璧を完して趙に帰したいと思います」
そこで趙王はこの言葉により、はじめて相如に璧を奉じて西の秦へ赴かせました。