孫臏の斉軍、魏の師(軍隊)を大いに破る

文字数 1,477文字

 孫臏(そんひん)田忌(でんき)に告げたのです。

「そもそもです、事態が(まじ)り乱れ、紛糾している者は、(こぶし)を控えることができず、殴り合うものです」

 田忌は黙って聞いています。この天才参謀が言うことに耳を傾けています。

「またこのように殴り合っているものには、(げき)を使わぬものです。二人を引き離すには、形勢を見てこの二人を引き離すべきであって、戟を使って二人をうち、引き離すような乱暴なことをしてはいけないのです」

 孫臏は田忌に聞きました。

「この二人と、戟を持っているものは誰かわかりますか?」

「二人とは、魏と趙だ。戟を持っているのが斉か?」

「その通りにございます」

 孫臏は田忌の聡明さを確かめると、続けました。

「戟のような兵器を使っても、その怒りはますますさかんになるだけです」
 幕僚たちも、かたずをのんで、孫臏の言葉を聞いています。

「間に入って、殴り合っているお互いを引き離すべきです。それには、隙をつくことが必要です。その隙に乗じて引き離してしまえば、自然と形勢は落ち着くものです」

「いったいどうしろと?」

 田忌が口をはさみました。たとえ話だけでは、孫臏の言いたいことがよくわからなかったからです。

「魏の隙をつくことです」

「それは分かったが、魏の隙、とは何だ?」

 孫臏は淡々と続けました。

「今、魏と趙はあい(へだ)てあって、攻めあっています。魏は機動力にあふれる部隊(軽兵(けいへい))を趙に展開し、精鋭を趙に集めています。だから魏はおそらく趙を圧倒することでしょう、魏は強国ですから」

「うむ」

 田忌はうなずきました。

「しかしです」

 孫臏の口調が力強くなりました。

「精鋭が外に集中されているということは、魏には老兵、若い兵、それに弱卒(じゃくそつ)のみが残っており、防ぐものがいないということです」

 また孫臏の口調は静かなものに代わりました。

「ですから、あなたは斉の兵を率い、疾風のように走って、魏の大梁(たいりょう)へ向かうにこしたことはありません。そしてその街や、道路に拠点を築き、迎撃するのです。これこそ、その隙を衝く、というものです」

「相手の弱点を突くということだな」

「その通りにございます」

 孫臏はゆっくりとうなずきました。

「隙を()かれ、大梁を囲まれた魏は、趙の囲みを()いて、自ら救出にやってくるでしょう」

 孫臏には、龐涓(ほうけん)の狼狽する姿が、手に取るように思い浮かびました。

「これこそが、我が斉軍が一つの行動で、趙の囲みを解き、魏の弱体化を収める最上の策なのです」

 これこそが、世にいう、「囲魏救趙(いぎきゅうちょう)」の計でした。

 兵站(へいたん)を衝く、という言葉があります。食料や物資を補給する、拠点を攻撃するという作戦のことです。

孫臏が目指したものは、魏の兵站線や、本拠を急襲することでした。

 斉の軍は斉と魏の国境から侵入し、濮陽(ぼくよう)の近辺を通り、真っすぐに魏の大梁を目指しました。魏の国内には老弱の兵しかいません。斉軍は(さまた)げられることなく、進軍を続けました。

 そこに戻ってきたのが、龐涓の率いる魏軍でした。

資治通鑑(しじつがん)』には「魏の師、大敗す。」と、短くそれだけ書かれています。

 趙から帰ってきた魏の軍は疲労していました。長躯して帰ってきた軍で、待ち構えた斉軍と戦うのですから、負けは予想されました。

 しかし桂陵を突破されれば、魏の大梁は、斉の支配下に置かれることになり、魏の東方の領土は蹂躙(じゅうりん)されます。

 そのため龐涓はあえてここにとどまり、斉軍に、孫臏と田忌に戦いを挑んだ可能性があります。しかし、全ては歴史の闇に埋もれています。

 ともかく魏軍が大敗を喫した後、斉軍は自国へと引き上げました。魏は手痛い敗北を喫し、趙は守られたのです。
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