張儀、楚へ行く
文字数 1,765文字
秦の惠王 は人をつかわして、楚の懷王 に告げさせました。
武關 の外の地と黔中 の地とを易 えることを請いたい、と。
注によると、武關の外の地、というのは、秦の丹 、析 、商於 の地であったのではないかといいます。
楚王は答えました
「地を易えることなど願わない。願わくば張儀 を得て黔中の地を献じたい」
一人の張儀と土地を替える。そういえば、衛の嗣君 も同じようなことをしていました。このようなことは多くあったのでしょうか。興味深いところですが、ともかくここは楚王の怒りの激しさの表現としてとり、続けましょう。
張儀はこれを聞き、楚へ行くことを請い願いました。
王はおっしゃいました。
「楚はあなたで自分の恨みを晴らそうとしている。それを知っていて、どうして行こうとするのだ?」
張儀は申しあげました。
「秦は強く楚は弱おうございます。それに大王がいらっしゃいます。楚はあえて臣をとらえることはできないでございましょう。
かつ臣 は楚の嬖臣 の靳尚 と仲が善うございます。靳尚は姬 の鄭袖 に気に入られております。鄭袖の口からでる言葉で王の聴かないものはございません。」
そして楚へ往きました。楚王は張儀を囚 え、まさに殺そうとしました。
靳尚は鄭袖に言って申しました。
「秦王はたいへんに張儀を愛しております。おそらく上庸 の六縣と美女で張儀を贖 うでしょう。王は土地を重んじ秦を尊ばれます。秦の美女は必ず貴 ばれて夫人は斥 けられるでしょう」
ここに鄭袖は毎日夜々、楚王に泣いて申し上げました。
「臣はそれぞれその主とつながるはずです。今、張儀を殺せば、秦は必ず大いに怒るでしょう。妾 は請いますに子・母ともに江南 に遷 らせていただきます、毋 を秦の魚肉とするところとなされめさるな」
王はそこですぐさま張儀を赦 して厚く礼しました。張儀はそこで楚王に説いて申し上げました。
「そもそも連縦策をとることは、群羊を駆って猛虎を攻めることと異なることはございません、結果は格闘をせずして明らかなのです。
今、王が秦に事 えないと、秦は韓を劫 やかして梁(魏のこと)を駆って楚を攻めるでしょう、そうすれば楚は危ういのです。
秦の西には巴 、蜀 がございまして、船をつくり粟 (穀物)を積み、岷江 に浮かべて下します。一日にして上流でございますから五百余里をいくでしょう、十日もせずに至り捍關 を拒 ぐことはできないでしょう。
捍關が驚けばそこで国境沿いに以東はことごとく城守するでしょう、黔中、巫郡 は王の所有でなくなるでしょう。
秦が甲兵をこぞって武關より出でれば、北の地との連絡は絶たれます。秦兵が楚を攻めれば、危難は三月の內に在るでしょう。
そうであるのに楚は諸侯の救いを待つこと半歲の外の地にあり、そもそも弱国の救いを恃 み、強き秦の禍 いを忘れるとは、これは臣が大王のために患 うるところにございます。
大王が誠によく臣のいうことを聴かれるのでしたら、臣は秦、楚を長く兄弟の国となさしめ、たがいに攻伐 することがないようにいたしたいと請い願います」
楚王はすでに張儀の説を得て、そうか、黔中の地を出だしたくない、と思い、そこで張儀の要求を許しました。
張儀は次に韓にゆき、韓王に説いて申し上げました。
「韓の地は険悪 で山がございます(韓には宜陽 、成皋 があり、南は魯陽 に地は尽 きるが、いずれも山が険しい土地がらである)。
五穀で生じるところのものは、菽 で麦ではございません。そのため国には二歲(年)の食の貯 えもなく、おる兵卒は二十萬にすぎません。
秦は武装した兵が百余萬おります。山東(秦以東)の士が甲 をかぶり胄 をきて会戦しようとするならば、秦人は甲を捨て徒裼 で敵におもむきます。左に人の頭をかじり、右に生虜 をはさみつけます。
そのように孟賁 、烏獲 のような士 で、服さない弱国を攻める。千鈞 の重りを鳥の卵の上に落とすのと異なりません、韓にとってきっといいことはないでしょう。
大王が秦にお事 えにならないと,秦下の甲兵は宜陽 に拠り、成皋 を塞 ぎ、そして王の国を分け,鴻台 の宮、桑林 の苑 は、王の有 ではございませんでしょう。
大王のために計りますに、秦に事え、そして楚を攻めるに勝るものはございません。そして禍 を転じて秦を悦 ばせるのです。計略としてこれより便宜や利益があるものはございません」
韓王はこの計略に従いました。
注によると、武關の外の地、というのは、秦の
楚王は答えました
「地を易えることなど願わない。願わくば
一人の張儀と土地を替える。そういえば、衛の
張儀はこれを聞き、楚へ行くことを請い願いました。
王はおっしゃいました。
「楚はあなたで自分の恨みを晴らそうとしている。それを知っていて、どうして行こうとするのだ?」
張儀は申しあげました。
「秦は強く楚は弱おうございます。それに大王がいらっしゃいます。楚はあえて臣をとらえることはできないでございましょう。
かつ
そして楚へ往きました。楚王は張儀を
靳尚は鄭袖に言って申しました。
「秦王はたいへんに張儀を愛しております。おそらく
ここに鄭袖は毎日夜々、楚王に泣いて申し上げました。
「臣はそれぞれその主とつながるはずです。今、張儀を殺せば、秦は必ず大いに怒るでしょう。
王はそこですぐさま張儀を
「そもそも連縦策をとることは、群羊を駆って猛虎を攻めることと異なることはございません、結果は格闘をせずして明らかなのです。
今、王が秦に
秦の西には
捍關が驚けばそこで国境沿いに以東はことごとく城守するでしょう、黔中、
秦が甲兵をこぞって武關より出でれば、北の地との連絡は絶たれます。秦兵が楚を攻めれば、危難は三月の內に在るでしょう。
そうであるのに楚は諸侯の救いを待つこと半歲の外の地にあり、そもそも弱国の救いを
大王が誠によく臣のいうことを聴かれるのでしたら、臣は秦、楚を長く兄弟の国となさしめ、たがいに
楚王はすでに張儀の説を得て、そうか、黔中の地を出だしたくない、と思い、そこで張儀の要求を許しました。
張儀は次に韓にゆき、韓王に説いて申し上げました。
「韓の地は
五穀で生じるところのものは、
秦は武装した兵が百余萬おります。山東(秦以東)の士が
そのように
大王が秦にお
大王のために計りますに、秦に事え、そして楚を攻めるに勝るものはございません。そして
韓王はこの計略に従いました。