土地から時代を振り返る(中)

文字数 2,041文字

では、秦の領土獲得の様子を見ましょう

「八年(甲寅、紀元前三〇七年)
 秦、宜陽を抜く。

 九年(乙卯、公元前三零六年)
 秦・武遂を韓に帰す。魏の蒲阪を伐つ

 十一年(丁巳、紀元前三〇四年)
 秦・楚に上庸を戻す。

 十二年(戊午、紀元前三〇三年)
 秦は魏の蒲阪、晉陽、封陵を取り、また韓の武遂を取る。

 十三年(己未、紀元前三〇二年)
 秦・魏に蒲阪を戻す。

 十四年(庚申、紀元前三〇一年)
 秦・韓の穰を取る。」

 ここまで、韓、魏のやりとりが続いています。

 宜陽は周の洛陽を流れる洛水の上流に位置する都市でした。函谷関や武関などの秦の関門から遠く離れた都市で、どのような経路をたどって攻略したのかわかりませんが、秦はこの都市を植民都市として、支配下に置くことに成功したのかもしれません。ただしかなり距離の離れた飛び地になりますので、守備兵はどうした、とか、輸送路はどうした、という疑問は尽きませんが。

 ただ盟主・宗主の周のすぐそばにこのような都市を把握したことは、情報戦で、敵の情報がいち早く入ることになり、また交通の要衝だったとかんがえられますから、商業都市としての価値も考えられたでしょう。この宜陽の陥落は、韓や魏の領域に楔を打ち込んだとして、大きな価値があったと考えられます。

 続く武遂、蒲阪、晉陽(陽晉か?)、封陵は調べてみると、全て黄河の側にあった都市で、秦が黄河沿いに攻略を進め、その拠点を魏や韓が交渉や取引で、再び取り返しているのが見られます。

 例外的な都市が穰で、この都市は韓の都市として出ていますが、『中国歴史地図集』では楚の国の領域、武関の先さらに東南に存在しています。それ以前に、秦の『蜀』と呼ばれる地域の西にある、上庸という地域が秦の支配下にあったこと、それを楚に帰したことが出ていますが、そちら、蜀から沔水という河(漢中の南鄭周辺から流れ、長江に合流する)から攻めたという可能性がないわけではありませんが、実際は武関の周辺から兵を出したのでしょうか、実際のことはよくわかりません、地図を眺めていただければと思います。

「十四年、蜀を秦の司馬錯が誅す。

 十四年、秦庶長奐・楚、重丘を取る。

 十五年(辛酉、紀元前三〇〇年)
 秦・楚の襄城を取る。

 十六年(壬戌、紀元前二九九年)
 秦・楚の八城を取る。

 十七年(癸亥、紀元前二九八年)
 秦・武關から楚の十六城を取る。

 十九年(乙丑、紀元前二九六年)
 齊、韓、魏、趙、宋・秦、鹽氏に至る。秦・韓に武遂、魏に封陵を与える。」

 ここでは秦の楚の領土獲得が語られています。まず蜀の地域を司馬錯が鎮圧し、そして楚の領土を切り取っていく。のちの十九年の連合軍に楚は加わっていません。おそらく重要な拠点だった重丘、襄城に加え、二十四もの城を攻め取られています。

 穰、重丘、襄城というのは、楚の方城(長城?)をぐるりと囲んで存在する都市で、これらの楚の西方の防衛網を、秦はここで壊しに行き、じわじわと領土を切り取っています。

 連合軍が攻め込んだのは、鹽氏(塩氏)という地帯で、側に塩の湖であろう、「鹽(塩)」という記載(名前)が『中国歴史地図集』にはあります。魏の安邑の西南にあり、黄河よりは東にある河東の地内でありますが、塩が取れる土地だったのかもしれません。これだけの国々が連合を組んで、塩を確保しに来た、と考えると興味深いものがありますが、あまり深入りはしないでおきましょう。

「二十年(丙寅、紀公元前二九五年)
 秦尉錯・魏の襄城を取る、

 二十一年(丁卯、紀元前二九四年)
 秦・魏を解に破る。

 二十二年(戊辰、紀元前二九三年)
 韓の公孫喜、魏人が秦を伐つ。穰侯は左更の白起を秦王に薦め向壽に代わって兵をひきいさせました。魏の軍、韓の軍を伊闕に破り、斬首した数、二十四万級、公孫喜を虜にし、五城を抜きました。秦王は白起を國尉としました。

 二十四年(庚午、紀元前二九一年)
 秦・韓の宛を抜く。

 二十五年(辛未、紀元前二九〇年)
 魏は河東の地、四百里、韓は武遂の地、二百里を秦に入れる。

 二十六年(壬申、紀元前二八九年)
 秦の大良造・白起、客卿・錯、魏を伐ち、軹に至り、城大小六十一を取りました。」

 ここでは魏の襄城、解、軹、韓の武遂などの土地が一挙に秦の領土となっています。宛という都市も出ていますが、これは楚の方城の背後にあった中心都市で、楚の防衛網を、秦が突破した、ということだと思います。解は安邑の西南にある都市、伊闕は宜陽と洛陽の間にある都市で各国の布く防御拠点を、次々と秦軍は突破しています。

 魏の黄河沿い、韓の洛陽の周辺、楚の方城の外、と三つの局面で、秦の軍は作戦を進めていたようです。

 そして軹に至ったわけですが、軹とは洛陽の北、黄河沿いの北側にある都市で、黄河に沿って北から来た軍と、宜陽から南から来た軍が、洛陽を挟み込むように陣し始めています。武関から出た軍は東南へと楚へ襲いかかり始めています。
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