和氏の壁(下)

文字数 2,014文字

 秦王は章台(しょうだい)というとこにいまして相如(しょうじょ)を謁見させました。相如は(へき)(宝玉)を恭しく捧げて秦王に奏上しました。秦王は大いに喜び、壁を美人(側室)や左右の群臣に渡してみせびらかしました。左右の群臣はみな萬歲を叫びました。

 相如には秦王に、趙に城を補償する意思がないことがわかりました。そこで前へ進んで申しました。

「璧に(きず)がございます、どうか王に指し示させてくださいませ」

 王は璧を相如にお渡しになられました。

 相如はその機会をとらえて璧を持ちじりじりと下りながら立ちあがり、柱によりかかりました。怒りの表情が表に現れ冠をその気が貫くようでした。

 そして秦王に申していいました。

「大王は璧を得ようとなされ人をして親書を発して趙王のもとにお届けになりました。趙王はことごとく群臣を召して会議しました。

 皆が申しました『秦は貪婪(どんらん)で、その強さをたのみ、空言で璧を求めようとしています。城で償ってもらえることは恐らくできないでしょう』、会議は秦に璧をあたえようとはなりませんでした。

 臣は考えました、民間の布衣(ほい)の交りですらなおお互いに(あざむ)きません、それならば大国ならば一層信義を尊ぶでしょう。さらに一つの璧のために強い秦との友好関係にそこなう、そんなことはできません。

 そこで趙王は齋戒(さいかい)すること五日、臣をして璧を奉じ、親書を宮庭に受けて出発させられました。どうしてでしょう?大国の威を尊重し敬虔な気持ちで送り出されたのです。今、臣がここに参り、大王は臣下を列ねられて壁を観られました。ところが礼節ははなはだおごり、璧を手に取られると、側妾の美人に手渡され、臣を戯弄(ぎろう)されました。臣は大王に趙王に城邑を(つぐな)われるご様子がないのを見ましたので、そこで臣はまた璧を取りかえさせていただきました。大王は必ず臣を責めようとなされるでしょう、臣は私の頭を今、璧とともに柱で砕いてお見せいたしましょう」

 相如は和氏(かし)の璧をもって柱を睨みつけ、実際に柱に撃ちつけようとしました。

 秦王は璧が破損するのを恐れ、あわてて丁寧に謝って許しを請い求め、有司(ゆうし)(役人)を召して地図を示し、ここからここの十五都を趙に与えようと指し示しました。

 相如は秦王が特に

で趙に城を与えようとしているのを見抜き、実際は得られないだろうとし、秦王に申しあげました。

「和氏の璧は、天の下に共に伝えられてきた宝器でございます。趙王は恐懼し、謹んで献上させていただきました。趙王は璧を国からいだす時には、齋戒すること五日でございました。ですので大王もまた齋戒五日を実行されてはいかがでございましょう。九賓(きゅうひん)の礼を宮廷におこなわれれば、臣もそこで謹んで璧を献上させていただきます」

 秦王はこの局面をよく考え、ついに強奪などはできないだろうとし、そこで潔斎すること五日、という条件を飲まれました。相如は廣成(こうせい)の伝(駅伝?)の舎に泊まることになりました。

 相如は秦王が潔齋されるといっても、きっと約束にそむいて城は償われないだろうことを悟り、從者にぼろぼろの賤しい衣装を着せ、璧を懐にして、国と国との主要な道路ではないわき道を通って逃げさせ、和氏の璧を趙に帰らせました。

 秦王は潔齋した五日の後、九賓の礼を宮廷に備え、趙の使者、藺相如をお呼びになりました。

 相如はまいると、秦王に申しあげました。

「秦は穆公(ぼくこう)より二十余君が続いた国でございますが、約束を堅持したものがいまだございません。臣は誠に恐れおおいことでございますが王に欺かれ趙にそむくことができませんでした。そこで人を使って璧をもってかえらせました,間道(かんどう)を伝い趙に至ったはずにございます。さらには秦は強く趙は弱うございます、大王が一人だけの使いをお遣わしになって趙に至らせれば、趙はまた使者を立てて璧を奉じてまいるでしょう。今、秦の強き国をもって先に十五都を割いて趙に与えれば、趙はどうしてあえて璧を留めて罪を大王に得ようとするでしょうか。臣は大王を欺いた罪が誅殺に当たることを存じ上げております、臣は願わくば湯鑊(とうかく)釜茹(かまゆ)で)の刑につきとうございます、ただ大王と群臣の方々で計議(けいぎ)なさってくださいまし」

 秦王と群臣は互いに見やって、あっ、といいました。怒りを表すもの、驚きを表すものがおりました。

 左右の衛兵のあるものが相如を引きずって出ていこうとしました。

 秦王それを制しておっしゃいました。

「たとえ相如を殺そうと、最終的に璧が得られるわけではない、しかも秦と趙の友好関係を絶つことになる。これを機会に相如を厚遇し、趙に帰らせたほうがいいだろう。趙王がどうして一つの璧のために秦を欺くことがあるだろうか、もうよいのだ」

 そして宮廷に相如を謁見させ、礼節を尽くして帰らせました。

 相如は趙に帰りました。趙王は賢大夫で諸侯を(はずか)しめることがなかったとして、相如を上大夫に任命しました。秦も趙に城を与えませんでしたが、趙もついには秦に璧を与えないで終わりました。
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