死馬の骨を買う・隗より始められよ

文字数 1,059文字

 さて(えん)の人はともに太子(たいし)(へい)をたてました、これを昭王(しょうおう)と申します。昭王は燕が荒廃(こうはい)した後に即位しました。死者を(とむら)い孤児を問い、百姓と甘苦(かんく)を同じくしました。身を(いや)しくし(おくりもの)を厚くしそして賢者を招きました。

 王は郭隗(かくかい)に申されて、こう語られました。

「齊は(わたし)(凶事のあとであるの「寡人」ではなく「孤」と称していると注にある)の国が乱れたのに因りて襲ってきて、燕を破りました。孤は極めてよく知っています、燕は小さく、力は弱く、そのために報いるものは足りないのです。

 そうではございますが、誠に賢士を得て国政をともにし、そして先王の恥(燕王の(かい)が危うく国を亡ぼしかけたことを恥じている)を(すす)ぎたい、それこそ孤の願いなのです。先生の視てよろしき者があれば、その人物に身事(しんじ)することができるようにしてください!」

 郭隗は申しました。

(いにしえ)人君(じんくん)で千金で涓人(けんじん)に千里の馬を求めさせた者がございました。

(春秋時代以来、諸侯の国に涓人という役職のものがありました。秦、漢の間には中涓(ちゅうけん)という名だったようです。

 顔師古(がんしこ)が申すには、涓とは、潔である。中にいて主として潔清(きよめること)灑掃(そうじ)の事を(つかさど)った。思うに王の親しんで舊((ふる))くからずっとおるもので、左右の(したしい)ものである、そういうことだ、と述べている。

(別の意見として)應劭(おうしょう)が申すには、涓人とは謁者(えっしゃ)のようなものだ、といっている。

 ともに親しく身辺に近侍(きんじ)したものであることは共通しています)

 ところが王の最も信頼するものであろう涓人は、馬がすでに死んでおるのに、その首を五百金で買って帰ってまいりました。君は大いに怒りました。

 しかし涓人は答えたのでございます。『死馬すらこれを買う、ましてや生きている馬ならどうでございましょう。馬は今に至ります。』と。期年(きねん)もたたぬうちに、千里の馬で至ったもの三頭でございました。

 今、王におかれましては必ず士を求めることを極めようとなさるならば、()ず隗より始められよ。そうすれば隗より賢なる者はいかがでございましょう、どうして千里を遠いといたすでしょうや!」

 つまり燕王がもし礼を郭隗に加えたならば、四方の賢士はこれを聞き、千里を遠しとせずにまいるということでした。

 ここにおいて昭王は隗のために宮殿を改築して師事しました。そのことによって士は争って燕に赴きました。

樂毅(がくき)が魏より往き、劇辛(げきしん)が趙より往きました。昭王は樂毅を亞卿(あけい)とされ、国政を任されました。ここに燕が樂毅を用いて齊に報いる準備は整ったのですが、それはもう少し後に見えるでしょう。

 韓の宣惠王(せんけいおう)(こう)じられ、子の襄王(じょうおう)(そう)が立ちました。
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