ご飯抜き

文字数 1,195文字

こんにちは、お久しぶりです。
寒暖差が激しくなり、風邪を拗らせてたしまいました。
38.8度まで熱が上がり、トイレに行くのもフラフラ、頭が割れるかと思われるほど頭痛もして、久しぶりに風邪の辛さを実感しました。
今朝は病院を予約して発熱外来に行ってきました。
検査の結果、コロナでもインフルエンザでもなく、とりあえず安心できたのですが、2日間UberEATSで頼んだポカリとアイス1つでの生活だったので、体力が落ちてしまいました。
今夜からお粥から食事を戻していこうと思います。

幼少期から朝ごはんや昼ごはんを作ってもらった覚えがないからか、食事を抜くことに抵抗がないのですが、大人になってから知ったことといえば、食事を抜くと体温が下がる。と、いうことです。
私の平熱は35.3度なのですが、平均の体温と比べると1.3度低いことがわかりました。
実家を離れて料理を楽しむようにはなっているのですが、食事を意識的に取っていても体温が未だに上がることはなく、運動が大事なのかな。と、強く感じているところです。
現代人に運動しろって言うのが難しいですよね。
職場で9時間、通勤の往復2時間、家事諸々に睡眠時間、勉強等など。
休日のためだけにジムを契約するほど裕福な暮らしもしていないので、家でできる運動をするしかないのでしょうが。

小学生の頃は、父や祖母に期待をしていたので、食事が欲しいと懇願していたのですが、中学生の時点では色々な状況が重なり、生きる気力が失せてしまうような状態だったので、どうにでもなれと思っていました。
私が言えることは、「子供にこんな思いをさせたくないから子供を産まない。」と、伝えた皮肉さえも響かないくらいに自分の世界が強固な方たちだったので、幼少期の私が、食事が欲しい。怒鳴らないでほしい。等、何を訴えようが無駄だったということです。

大人になってから、自分の体の不調がよく目に着くようになりました。
土星と罵声に怯えて緊張し続けた体は幼少期から肩こりが根付いていたり、体温が低かったり、そもそもはしなくて良いことの1つではありますが、地道に治していけたら良いなと思います。
親になる資格というのはわかりませんが、最低でも衣食住を保証できないような人間が子供を産むのは、自己満足でしかなく、産んだらどうにかなる。産んだら子供は子供の人生だから関係ない。と、言えてしまうのは、色んな意味で人間性の欠落だと思ってしまいます。
考えが及ばないのは困りものですね。

「何でもかんでも親のせいにするな!」
と、言い返してくるのでしょうが、親のせいにしてるわけではなく、自分で何とかしてるからこそ学費も生活費も、体の健康も、そもそも幼少期の食事や家の掃除でさえ自分でやっているので、そもそもお話にならないのは自分だと気づけないタイプの親が多いことに大人になってから気づきました。
親に囚われないように生きていきましょう。
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