自分の子供は可愛いよ

文字数 1,466文字

自分が子供、と書かせていただいてから、1年以上が経過しました。
私自身、まだまだ未熟ですし、未熟な物こそ何事も経験と考えることもありますが、命というものを考えると、自分の経験にできる。と、いった理由で産むことについて、あまり好感を持っていません。

想像でしかない話ですが、子供を産めば、子供が苦労することもあるでしょうし、もちろん楽しいことも多くあると思います。
楽しいことを見つけ出せるように、できる限りのサポートはしていきたいと考えるでしょうし、子供がやりたいことを、できるだけ叶えられるように動きたい。と、子供がいない現状は考えます。
実際がどうなのかはわかりませんが、自分自信、余裕が無くなる瞬間が、少なからずあります。その時に、軌道修正をして生きていますが。子供がいたらどうなるか、自分自身に余裕が無いのに、子供に対して情緒の安定した教育ができるか、子供が困っている時に、話を聞いたり、サポートができるかはわからないです。

中学生の頃、父と言い争いになった時に、
「私は子供を産まない、お前みたいにはならない。」
と言ったことがあります。
当時の理由は、嫉妬もありました。周りの同級生は、食事を食べて、清潔な服を着て生活をしているのに、どうして私にはないのだと恨めしく、父が不在の時に祖母からは、「私はお前の親じゃない、面倒を見る義理はない。」と殴られ、父には、私を作ったこと、産んでしまったことを、悔やんでほしかった中での発言でした。
父からの返答は
「父親に向かってお前とはなんだ。」
と、恫喝で返されました。
普段、「上下関係なんて馬鹿らしい。」と、語っていた父が、鬼の形相で憤慨していたことで、私は安心しました。
行動と言動の不一致な部分が多くあったこと。私に、「約束は約束。」と言いつつ、父は約束を反故にすることについて、「表面上は完璧を装っているだけで、内面は感情がぐちゃぐちゃなんだ。」と、合点がいき、父の化けの皮を剥いだような気分になりました。(当時の私の感想です。)
同時に父は、私を作ったことに対しての責任や義務を感じていないのだと感じました。
父は、子供を産まないことよりも、自分の尊厳が害されることにしか注目していなかったからです。
この場面を思い出すと、子供を産めば愛おしく感じる。自分の子供は可愛い。ということの例外があるんだと思い、私も子供を産んでみなければわからないのですが、可愛い子供。という括りにすると、可愛い子供を悲惨な目に合わせたくない。死にたいと思わせない生活を保証できる確証がほしい。と考えて、私自身、痛みに対しての恐怖が大きいことも理由としてあります。
私の人生の1部に子供がなり、子供の人生の1部に私がなることが良いのでしょうが、私の人生を背負わせたり、自分の老後の保証として子供を産むことについては想像できない現状です。
以上の経緯から、子供を作ろうとは考えられなくなりました。
この話題に触れた理由ですが、家庭を持てば、子供を産めば変わる。といったコメントが何件かありましたので、私自身の考えとして書かせていただきました。

何に関してもですが、保証がない中で、できる限り周りの自分を尊重してくれる人間を大事にして、合わない方とは距離をとり、自分を大事にすることで、周りの方を大事にできるのではないか、と、ここ数年感じています。個人の人生は個人の自由であってほしいのですが、何事も上手くいくとは限らないので、考えすぎな部分も多いと言われるかもしれませんが、まずは自分が自分をを愛してからの人生だなと感じています。
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