muzzle-3

文字数 2,369文字

 独りぽっちになってしまうなら、死んでしまいたい。殺されてしまいたい。死にたくないと叫び続けた夜は、死ぬことでしか終わらせられない。矛盾で息ができなかった。死にたくないなら強くなければいけないのに、フユトは弱い。弱いから生きていけない。死んでしまいたい。けれど本当は、弱くても生きていたい。お前はそのままでいいと許されたい。
 目を閉じる。シギの影を遮断する。
 受け容れてもらいたいのに怖くて踏み出せない。拒まれたら生きていけない。縋りたいのに言い出せない。お前なんか要らないと言われたら、踏みとどまっていた足場を失う。
 ごめん、なんて言えない。だから、許さなくていい。それは拒絶じゃなく、罰だ。
「……フユト」
 長い沈黙を挟んで、シギが名前を呼んだ。僅かに顔を上げて、シギの爪先を見つめる。
「帰るぞ」
 言われて、シギを仰いだ。やはりそこには、何の感情もなかった。
 シギの住まいへ一緒に帰った。道中も、戻ってからも、シギは一言も口を聞かないから、フユトも黙ったまま、殴り返された際の傷を確認して、シャワーを浴びて、キングサイズのベッドに横になった。
 今回も死ななかった、と思う。捨て鉢な身体を壊して欲しいと願うのに、フユトのそれは当分、叶えられそうもない。
 疲れた──。
 いつの間にか意識が途切れたと気づいたのは、シギの気配で目を覚ましたからだった。無意識に強ばるフユトの身体など知らぬとばかりに、体温を感じる距離に、シギの身体が横たわる。但し、いつもするように抱き寄せては来なかった。背を向けたまま拒絶する自分は棚に上げ、何だか少し、寂しいと思う。
 弱い自分が嫌いだ。簡単な言いつけも約束も守れない。そうしてまた、失うかも知れないのに、悪足掻きすらせずにいる。シギは相当に怒っているだろう。衝動的なフユトに呆れて、頑固なフユトに溜息をついて、手に負えないと首を振るに違いない。例え百年の恋でも冷めると離れていって、フユトは今度こそ、夜に取り残される。死を待つ夜の底で、怯え続ける。
「……ごめん」
 静かに眠るシギの気配に、フユトがようやく口を開いたのは、体感で何時間も経ったように感じてからだった。眠るシギには届かないから、素直に言える言葉だ。
「約束、守らなくて、ごめん」
 目を閉じた。きっと、明日から違う道を往くだろう気配に、もう一度だけ、抱きしめられたいと思った。
 けれどもう、全てが遅い。手を離したのはフユトだ。シギじゃない。弱いままで強くなれないフユトから、強いシギの手を離してしまったのだ。何度も何度も、根気よく差し伸べてくれた手を払い除けたのは、これが最初じゃない。お前だって離れて行くくせに、と信用しなかったフユトのせいで、シギとは道を分かつのだ。シュントのときと同じように。
「……ごめん、」
 だってあいつらがシュントを馬鹿にしたんだ。シュントの思いも覚悟も踏みにじる言葉で。そうやって生きてきた俺まで否定された気分になって、シュントにそういうことをさせた俺が惨めになって、だから、みんな、殺してしまおうと思った。全部、自分のために。
 声が震えそうになって息を呑む。長くて寒い夜の匂いがする。死が隣で息づいている。幼かったフユトの命を脅かす死が。
「……それで?」
 三十五度の体温を持つ腕が背後からするりと腰を抱いて、フユトはびくりと強ばった。バーで聞いたよりも穏やかな声が、微かに笑ってフユトに尋ねる。
「俺の言いたいことはわかったのか」
 寝ているとばかり思っていたから、心臓が早鐘を打っている。恥ずかしい独白を聞かれた気になって黙っていると、項を啄む唇の感触に、ひく、と震える。
「……知るかよ」
 先程までの素直さが嘘のように、フユトが不貞腐れて答えると、
「虫螻を殺して何が楽しい」
 化け物らしい言い回しで、シギが宣う。
「だって、」
 言い訳をする子どものような口調でフユトが言い募ると、
「吠える犬も、鳥も、虫どもも鳴かせておけ、お前はいつでも殺せる」
 諭すようにシギは言う。
「けど、」
「連中がいつ死ぬかを決めるのは俺だ」
 その言葉に理解が追いつくのに、少しだけ時間が掛かった。本来ならぞっとするべきシギの言葉は、乾いた土に注ぐ雨のように、フユトの中へ染み込んでいく。
「どうせ短い命だ、好きに吠えさせておけ」
 それでもフユトは首を振った。
「だって、あいつら、」
 俺が弱くて狡いと言ったんだ。
 とは言えず、フユトは三度(みたび)、黙り込む。
「お前もこだわるな」
 と、シギが嗤うから、腰に回された腕を掴んで、笑い事じゃないと眉を寄せた。
「なァ、フユト」
 名前を呼んで、より強く抱き寄せるシギの腕に、爪を立てる。
「お前が何と思おうと、俺はお前を離してなんかやらない」
 背中の向こうで、シギの鼓動がする。
「お前はお前らしく居ればいい」
 寄り添う体温は平熱三十五度、フユトより僅かに低い。
「あいしてる」
 覚醒しているときに初めて聞く言葉に、フユトは、後ろから頭を殴られた心地だった。思わず強ばってしまった身体を離すまいと更に抱き寄せられて、項に寄せられる唇の感触に震えた。
「……だって、お前、俺の嫌なこともするじゃねェか」
「そうだな」
「今日だって、肩、外して……」
「お前が言うことを聞かないからだ」
 シギが愛しているわけがない、と反論を試みても、フユトの反駁は容易くへし折られ、丸め込まれる。
「こないだだって、」
 あれが嫌だった、これが嫌だったと並べ立てようとするフユトに、
「そういうことじゃない」
 シギが苦笑する。
「お前がどんな人間でも傍にいる、と言ったんだ」
 フユトは言葉を飲み込んだ。
「お前がどんなにどうしようもない奴でも、簡単に手放してなんかやらない」
 何も言い返せなかった。
「わかったな」
 念を押されて、頷くに頷けず、半端に俯くことで答える。
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