Certain Holiday-1
文字数 2,255文字
ハウンドやハイエナを本業にしていると、仕事のスケジュールは割と自由に組める。但し、大掛かりな現場──大人数の殺害とかハイエナ式の解体とか──のあとは疲労による注意散漫になりやすいため、不慮の事故を防ぐ意味合いで、仕事を連続で組むことは推奨されていない。
そんな決まり事なんざクソ喰らえだ、とばかりにフユトが仕事を詰め込んでいられたのは、一年前までだった。今は閑散期を除けば、月に最低一度は何もしない日を作らないと、イライラして当たり散らしたくなる。
とはいえ、戦前と比べたら、娯楽なんて限られる。
昼までぐっすり寝て時間を潰したところで、法外な掛け金で遊ぶ裏カジノのオープンは夜更け近くだし、二度寝すれば倦怠感が増す。かと言って、篭もりっぱなしは落ち着かない。さてどうしたものか、と悩んでいたのは半年前までだ。
今は、フユトのオフに合わせるように、シギも丸一日のオフを取る。大きなトラブルさえなければ、という前提つきではあれど、それ以外の仕事は有能な秘書に一任することにしたようで、その日は徹底して執務机に向かわないし、電子端末も立ち上げない。
朝方に眠って、昼過ぎまで惰眠を貪る。
ショートスリーパーのシギにとってみたら、ベッドからほとんど動けないのは拷問かも知れないが、足を絡めるようにしながら寄り添って眠るフユトにしてみれば、無意識に緊張しなくていい至福のひとときだ。
体に染み付いた習慣というのは恐ろしいもので、新しい習慣に馴染むまでは、かつての片鱗が顔を出す。長い時間を野生動物のように生きてきたフユトには、新たな習慣に馴染むまでの道のりも、また遠いものではあるのだけれど。
鬼神のように強く、魔王のように情がなく、怨霊のように容赦をしない化け物の傍らだけは、フユトにとって数少ない安息地であることを、体より早く脳が認識した。浅い眠りを繰り返す習慣も、ここならば顔を出すことは少ない。何故なら、フユトはどう足掻いても化け物と張り合うことは出来ないと知っているからだ。積極的に死のうとは思わないが、化け物の前でなら諦めるしかない。何せ、相手は人以外の何者かなのだ。
薄目を開ける。常に視界の端で観察することを欠かさない彼の手が、目に掛かる前髪を撫で上げる。
見てンじゃねーよ、と噛み付いていたのは何時までだったか。今は、さり気ない観察で甘やかされて絆され、骨の髄まで融かされる心地良さを堪能している。
「……よく寝たな」
サラサラと前髪を撫でる手がこそばゆい。くすぐったいような感覚に目を細める。強ばる体を解すために伸びて仰向けになると、一度離れた手が再び、前髪の少し上の辺りを梳る。
「何時?」
「十四時」
「マジか……」
印象に残る夢も見ず、たっぷり十時間も寝るなんて、いつ以来だろうか。その間、フユトを起こさぬようにしていたシギの忍耐力も、やはり化け物級だ。
ヘッドボードに凭れて異国の言葉で綴られた文庫を読みながら、倦怠など露ほども感じられない涼し気な横顔のシギを仰ぎ見て、
「飯は?」
自らの空腹を自覚すると同時に聞いてみた。
「まだだな」
お前のせいで、とシギは一言も言わない。思ってもいないのかも知れない。
フユトがまだ、シギに背中を向けて寝ていた頃なら、シギは自由に動けただろうに、このところは向かい合ってどころか、足を絡めて眠るものだから、シギは本当にほとんど身動きが取れない。思っていることの半分も言わない男ではあるけれど、彼がフユトにだけはとことん甘いことを、甘やかされる当の本人は熟知している。
「飯行こーぜ、飯」
ベッドを出て背筋を伸ばしながら、シギを振り向くことなく誘う。もちろん、こちらが出すつもりはない。
「わかったから、さっさと浴びてこい」
苦笑混じりのシギの声が追ってきた。これでようやく解放されたと、体を動かすのだろう。
二人の休日は、だいたい同じ始まり方をする。
本来、休日を問わず規則的な生活を好むシギと、完全オフの前日とオフ当日の生活リズムが大きく乱れるフユトでは、まるで価値観が合わない。にも関わらず、傲岸で傍若無人で不遜なシギは、鬼や悪魔でさえ恐れをなして逃げ出すような男は、フユトのためなら己のペースにさえ頓着しないのだから、これに愛情を疑うほうがどうかしている。シギのことだから、それすら演技である可能性は否めなくとも。
そう言えば、前に一度、二人で連れ立つところを、シギの部下に見られたことがあった。
二人で出掛けたからと言って、手を繋いだり腕を組んだりなんてしないし、距離感も同性の友人と変わらないのに、歴戦練磨の強面の大男がぎょっとしていたのは、大魔王さながらのシギが、彼にあるまじき目をしていたからだろうか。
不意に思い出した光景に、今度会ったら聞いてやろうと決めて、浴室を出る。眠気の残滓も寝起きの倦怠も、熱い雫で全て流れ落ちていた。
二人で食事をしたあと、それぞれに分かれて行動し、部屋に戻ったのは夕暮れだった。三十分ほど遅れて戻ったシギが、退屈そうなフユトを見かねて、
「暇そうだな」
呆れたように言う。
ソファの背もたれに背中の全てを預ける形でふんぞり返りながら、うたた寝でもしそうな風情のフユトは目線だけで振り向くと、
「やることねェんだよ」
正直に答えて嘆息する。
「メンテナンスでもすればいい」
シギは、フユトが持て余す銃器類を示唆するものの、
「面倒だからプロに任せてきた」
別行動したときに外注済みだと反論して、フユトはようやく、姿勢を起こした。
そんな決まり事なんざクソ喰らえだ、とばかりにフユトが仕事を詰め込んでいられたのは、一年前までだった。今は閑散期を除けば、月に最低一度は何もしない日を作らないと、イライラして当たり散らしたくなる。
とはいえ、戦前と比べたら、娯楽なんて限られる。
昼までぐっすり寝て時間を潰したところで、法外な掛け金で遊ぶ裏カジノのオープンは夜更け近くだし、二度寝すれば倦怠感が増す。かと言って、篭もりっぱなしは落ち着かない。さてどうしたものか、と悩んでいたのは半年前までだ。
今は、フユトのオフに合わせるように、シギも丸一日のオフを取る。大きなトラブルさえなければ、という前提つきではあれど、それ以外の仕事は有能な秘書に一任することにしたようで、その日は徹底して執務机に向かわないし、電子端末も立ち上げない。
朝方に眠って、昼過ぎまで惰眠を貪る。
ショートスリーパーのシギにとってみたら、ベッドからほとんど動けないのは拷問かも知れないが、足を絡めるようにしながら寄り添って眠るフユトにしてみれば、無意識に緊張しなくていい至福のひとときだ。
体に染み付いた習慣というのは恐ろしいもので、新しい習慣に馴染むまでは、かつての片鱗が顔を出す。長い時間を野生動物のように生きてきたフユトには、新たな習慣に馴染むまでの道のりも、また遠いものではあるのだけれど。
鬼神のように強く、魔王のように情がなく、怨霊のように容赦をしない化け物の傍らだけは、フユトにとって数少ない安息地であることを、体より早く脳が認識した。浅い眠りを繰り返す習慣も、ここならば顔を出すことは少ない。何故なら、フユトはどう足掻いても化け物と張り合うことは出来ないと知っているからだ。積極的に死のうとは思わないが、化け物の前でなら諦めるしかない。何せ、相手は人以外の何者かなのだ。
薄目を開ける。常に視界の端で観察することを欠かさない彼の手が、目に掛かる前髪を撫で上げる。
見てンじゃねーよ、と噛み付いていたのは何時までだったか。今は、さり気ない観察で甘やかされて絆され、骨の髄まで融かされる心地良さを堪能している。
「……よく寝たな」
サラサラと前髪を撫でる手がこそばゆい。くすぐったいような感覚に目を細める。強ばる体を解すために伸びて仰向けになると、一度離れた手が再び、前髪の少し上の辺りを梳る。
「何時?」
「十四時」
「マジか……」
印象に残る夢も見ず、たっぷり十時間も寝るなんて、いつ以来だろうか。その間、フユトを起こさぬようにしていたシギの忍耐力も、やはり化け物級だ。
ヘッドボードに凭れて異国の言葉で綴られた文庫を読みながら、倦怠など露ほども感じられない涼し気な横顔のシギを仰ぎ見て、
「飯は?」
自らの空腹を自覚すると同時に聞いてみた。
「まだだな」
お前のせいで、とシギは一言も言わない。思ってもいないのかも知れない。
フユトがまだ、シギに背中を向けて寝ていた頃なら、シギは自由に動けただろうに、このところは向かい合ってどころか、足を絡めて眠るものだから、シギは本当にほとんど身動きが取れない。思っていることの半分も言わない男ではあるけれど、彼がフユトにだけはとことん甘いことを、甘やかされる当の本人は熟知している。
「飯行こーぜ、飯」
ベッドを出て背筋を伸ばしながら、シギを振り向くことなく誘う。もちろん、こちらが出すつもりはない。
「わかったから、さっさと浴びてこい」
苦笑混じりのシギの声が追ってきた。これでようやく解放されたと、体を動かすのだろう。
二人の休日は、だいたい同じ始まり方をする。
本来、休日を問わず規則的な生活を好むシギと、完全オフの前日とオフ当日の生活リズムが大きく乱れるフユトでは、まるで価値観が合わない。にも関わらず、傲岸で傍若無人で不遜なシギは、鬼や悪魔でさえ恐れをなして逃げ出すような男は、フユトのためなら己のペースにさえ頓着しないのだから、これに愛情を疑うほうがどうかしている。シギのことだから、それすら演技である可能性は否めなくとも。
そう言えば、前に一度、二人で連れ立つところを、シギの部下に見られたことがあった。
二人で出掛けたからと言って、手を繋いだり腕を組んだりなんてしないし、距離感も同性の友人と変わらないのに、歴戦練磨の強面の大男がぎょっとしていたのは、大魔王さながらのシギが、彼にあるまじき目をしていたからだろうか。
不意に思い出した光景に、今度会ったら聞いてやろうと決めて、浴室を出る。眠気の残滓も寝起きの倦怠も、熱い雫で全て流れ落ちていた。
二人で食事をしたあと、それぞれに分かれて行動し、部屋に戻ったのは夕暮れだった。三十分ほど遅れて戻ったシギが、退屈そうなフユトを見かねて、
「暇そうだな」
呆れたように言う。
ソファの背もたれに背中の全てを預ける形でふんぞり返りながら、うたた寝でもしそうな風情のフユトは目線だけで振り向くと、
「やることねェんだよ」
正直に答えて嘆息する。
「メンテナンスでもすればいい」
シギは、フユトが持て余す銃器類を示唆するものの、
「面倒だからプロに任せてきた」
別行動したときに外注済みだと反論して、フユトはようやく、姿勢を起こした。
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