Your sick,  my sick.-2

文字数 2,309文字

「おい、」
 それでも言うことを聞かないシギの携帯端末をサイドボードから奪い取ると、剣呑な色を孕む声に威嚇される。
「たまに一日休んだくらいで、どうにかなる立場でもないだろ」
 端末を奪い返されないよう、距離を取りながらフユトは言って、
「俺がいるのが落ち着かねェなら、寝室(ココ)には来ねぇからさ」
 聞き分けのないシギとの折り合いを付けようと、提案する。
 発熱で生理的に潤んでいると知っていても、幽き照明に濡れ光るシギの瞳は泣いているようにも見えて、フユトはずっと落ち着かない。化け物が泣くはずもないとわかっているのに、だ。
 誰の手にも縋るものかと踏ん張って、それで何とかなっているうちはいい。シギのことだから、弱った姿を見られたくないとでも思っているのだろうが、だったら、あんな風にしがみつかなければ良かったのだ。置き去りにされることを恐れ、克服しようと必死だった自分と重なる。言葉では言えないから、無意識の行動で、何処にも行くなと示しているような──あれは、シギの押し殺された悲鳴だったのではないか、と。
 胸の奥がざわついている。
「お前には言わないだけで、いつものことだ」
 フユトの意思が頑なだと気づいた様子で、シギが呆れたように嘆息しながら言った。
「いつも?」
 怪訝に問うと、
「何ヶ月かに一度は体調を崩す、今回もそれだから気にするな」
 フユトがらしくなく心配するのを余計なこととでも言うように、シギがうんざりと吐き捨てるから。
「……お前なぁ」
 相手がシギでなく、小生意気な子どもだったら、フユトは間違いなく引っぱたいていただろう。人がせっかく段取りまでして休んでいいと言っているのに、余計なお世話だと突っぱねる可愛げのなさにうんざりするのはこちらだ。心配したくて心配しているのだから感謝されたいわけでもないけれど、あんな態度を取っておきながら、シギのこれは傲慢以外の何物でもない。
「アスピリンでも何でも用意してやるけど、飲んだら寝ろ、寝ないなら飲むな」
「……どんな理屈だ」
「うっせぇ、無理しないで休めって言ってんだ」
「いつものことだと言っただろう」
「だったら俺にしがみつくんじゃねェよ」
 噛み付くフユトにシギが応酬する、いつもの流れが不意に止まった。口を噤んで目を伏せるシギに自覚はなかったのかも知れないが、フユトの言葉を冗談と受け取った様子でもなかった。
「お前のせいで起こされて、そっから寝ないで心配してやってんのに、何様なんだよ、お前」
 言いながら、八つ当たりだと自覚して、それでもフユトは口を閉じなかった。何もかもを拒絶して生きる姿勢が虚勢だと、シギの口から言わせたいと思った。誰より強く、誰より狡く、超然と人の上に立つシギだからこそ、本当は脆く、本当は弱く、ズタズタに切り裂かれた襤褸布のような有り様で、傷つく余地など残されていない状態なのだと、その口で認めて欲しかった。
 だから、次にシギが口を開いた瞬間、誰も頼んでいないと言われるか、お前の受け取り方の話だろうと言われるのだと思った。俺にそんなつもりはない、単に自分より低い体温を欲していただけだと強気に言って、フユトのことを鼻で笑うのだと身構えた。
「……傍にいろ」
 そんな風にあれこれ考えて予測していたから、シギが何を言ったのか、理解しそびれてしまった。きっと、キョトンとしていただろうと思う。
「お前がここにいるなら、休む」
 呆気に取られるフユトを嗤うことなく、シギはもう一度、別の言葉で言い直した。ようやく意味を理解したフユトのほうが躊躇ってしまうくらい素直に。
 厳重に、幾重にも張り巡らされていた防壁を何の前触れもなく取り払われてしまうと、それはそれで困ってしまう。お前だけは信頼できると認めたようでいて、その実、何を言おうと梃子でも動くつもりはないのだろうと諦められたような、そんな心地だ。シギはフユトに主導権を渡したのではなく、無為な時間に労力を割く無意味さを回避しただけなのだ。
 こういうとき、フユトは何となく、無力感を覚える。こちらが必死で向き合っているのに、猛牛を相手にするマラドーナよろしく、右へ左へとかわされてしまっては、向き合う意味も噛み付く意義もない。執着されるから振り向いてやったのに、目と目が合った途端、興味をなくしたように外方を向かれたような脱力感を、どう言葉にすれば、シギはわかってくれるだろう。
 フユトが欲しいのは、フユトが求める正解を答えることじゃない。気を遣ってやったことへの感謝でもない。ましてや、シギに負けを認めさせることでもない。
「……もういい」
 シギがせっかく折れたというのに、フユトは不貞腐れた口調で、
「勝手にしろ」
 呟くように告げ、奪い取った端末をベッドの中央に投げ捨てると、風を切る勢いで寝室を出た。
 夜の帳の只中で、孤独に震え、怯えていた子どもがいる。いつ、奪われるとも知れない命を必死な思いで繋ぎながら、刻刻と更けていく長い夜を泳ぎ、溺れかかった頃に朝を迎え、ほぼ一睡もできずに、ずっと疲れていた。死ぬのは嫌だけれど、死んでしまったほうがいい。矛盾した気持ちに挟まれて、子どもは夜の底に沈んでいく。そして、永遠に歩みを止める。
 そんな幼少時代をトラウマだと思ったことはないものの、今のフユトに影を落とすのは確実に、廃墟群で過ごした数知れぬ忌まわしい夜だ。死と隣接した夜闇の中、朝が来るまで、永遠にも等しい時間を揺蕩った、長くて深くて寒い夜。この世界に独りぼっちで置き去られ、忘れられてしまったかのような寂寞と、温かみのある内臓を狙う天敵のひたひた忍び寄る気配の脅威に縛られて、満足に眠ることもできなくなった。
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