ナイトメアをあげる。-4

文字数 2,585文字

「……ちょっと魔が差して、キスしただけだって」
 壁際に追い詰められる前に、フユトは自白を選んだ。さすがにシギの目は見られず、僅かに俯く。
「俺が聞いた話とは違うな」
 そんなフユトの顎を掴んで容赦なく引き上げたシギが、凄惨な笑みで出迎えた。
「小金握らせて本番して、中折れしたのは誰だ」
 詰問に、フユトの意地は簡単に挫ける。粘るよりも早々に事実を認めて折れたほうが罰も軽くなると、近頃になってようやく学習したのだった。
「……誘いに乗った俺が悪いです、ごめんなさい」
 棒読みにならないよう、気をつけながら詫びてみる。可愛くないと知りながら、ついつい上目遣いに見やったシギは凄惨な笑みをますます深めて、
「何から何まで管理してやったほうが良さそうだな」
 敢えてフユトの耳元で囁くから、ひく、と喉が鳴るのを抑えられなかった。
 この男の管理は徹底的だろうな、とフユトは思う。貞操帯やコックリングによる射精のタイミングだけでなく、排泄の時間や内容物まで管理されて、今まで通りに生きていけない身体にされるだろう。食べ物や水分の量まできっちり計った上で健康を害さないように、完全飼育によるストレスで自死しないように、これまでの溺愛なんて小手調べだったとばかりに、とことん尽くされるに違いない。
 予感だけで蕩けた顔をしたのか、フユトを正面から見たシギが微苦笑して頬を撫でた。
「本気になるからそういう顔をするな」
 仕方ない。マゾは沼に嵌るように堕ちるのだ。
 シギのそれが単なる脅しだったことに少しだけ不満を抱きつつ、寝室のベッドで一緒に横になりながら、フユトはこれまでの経過をぽつぽつと報告した。
「そもそも、お前はどうするつもりなんだ」
 シギに問われて、フユトは押し黙る。
 問題はそこなのだ。金額や内容はフユトにしてみれば大したことではない。個人的に依頼を受けていた頃なら、着手金十万なんて、ハウンドにしては破格すぎる仕事もあった。暴力を翳すための大義名分に金が付随する。フユトにとってのハウンドはそういう仕事だから、個人的には引き受けただろうけれど、組織と子飼いのことを考えると首を縦に振れない。
「……これ、俺が個人的に受けたら怒る?」
 シギの腕に巻き付く墨色の大蛇を指先でなぞりながら、フユトは甘えるように聞いてみた。
「組織的には引き受けられない理由でも?」
 されるがままのシギに問い返されて、フユトは考え込むように眉を寄せると、
「何となく」
 言葉にできない直感めいた予感を答える。
 それは漠然としているけれど、不安によく似た感覚だ。フユト一人ならどうとでも始末がつけられるものの、組織や子飼いを巻き込むにはリスクが高いような気がする。もちろん、引き受けたところでシギが失墜するようなことはないだろうし、子飼いが危険に晒されるわけでもないだろうけれど。
「……わかった」
 三分ばかり無言でフユトを見つめたシギの返事に、思わず瞬きを返す。勘なんて非合理的な感覚で物事を判断するなと怒られる気がしていたから、了承されるのは意外だった。
「お前の勘は当たる、好きにしたらいい」
 言って、シギは彫り物をなぞられるこそばゆさから逃げるように左腕をよけると、よけた手でフユトの髪を撫でた。
 依頼者の連絡先に引き受ける旨を伝えた翌々日には、フユトはキャッシュで着手金を受け取った。対象の出所日まで一ヶ月以上あったので、何度か依頼者と対面して段取りを詰め、殺害場所や殺害方法まで細かく決めた。
 出来るだけ惨たらしく、と依頼者は声を振り絞るように言った。
「死亡推定時刻では、娘が先だったようなんです、妻の悲しみと怒りと恐怖を思うと、もう──」
 依頼者の話では、報道に出なかったものの、娘のほうにも性的な暴行を受けた痕跡があったのだという。未成熟な膣の傷は生きている間に刻まれたと推測されたそうで、それが本当であれば、依頼者は父としても夫としても、やり切れない怒りを抱えて当然だろう。
 ただ。
 話を聞きながら、フユトは依頼者に同情することはなかった。どんな依頼者にも情を寄せたことなどないけれど、猿芝居を見せられているような感覚がどうしても拭えないから、尚更、こいつはどの口でそんなことを言っているのかと醒めてしまう。
 疚しいことがある人間は、取り分け、演技的な振る舞いをすることが多い。冷静を装っているようで、嘘が露見しないよう細心の注意を払うから、本来の自分らしい振る舞いができなくなる。
 当たりでした、とセイタから嬉々とした声で報告を受けたのは、対象の出所日の五日前だった。
「遅ェよ」
 詳しい話は会って聞くと告げて待ち合わせ、駆け寄ってきた小間使いを睨め付ける。セイタは例の如く、捨てられた犬のような顔になって、
「色恋するのに時間かかるのは仕方ないですって」
 と、怯えながらも正論で返した。
 依頼者の勤め先の事務員で、それなりに尻の軽い女がいると情報を得てから、セイタに籠絡しろと指示をして半月以上だ。フユトのような凶相はとかく怯えられるだけだけれど、セイタのような甘いマスクは女ウケがいい。
 事務員の彼女も面食いだったようで、セイタからのナンパについて来て肉体関係を持ったあと、恋人未満の関係をダラダラと続けながら、少し酔い始めると勤め先の愚痴を零す程度には気を許すようになった。あまりアルコールに強くない彼女に弱い酒を勧める男の意図なんて、ホテルに連れ込むか秘密を聞き出すかの二択だろう。
 同性には評判のいい人間でも、異性からは嫌われていることもある。フユトの読み通りだった。依頼者と同性の上司や同僚は彼を勤勉で穏やかだと褒め称えるけれど、口さがない事務員や女性社員の間では、社内恋愛していた元恋人を手酷く振って二股相手と結婚したとか、結婚した途端に元恋人へ妻と別れるからヨリを戻したいと言い募ってきたとか、噂されているそうだ。
 セイタには依頼者の元恋人にも近づくよう指示を出していたが、そちらは身持ちが固い性分だったので籠絡を諦め、飲み仲間として愚痴や相談を聞く間柄に持っていくよう仕掛けていた。どうやら身持ち以上に口も堅いらしく、それらしいことは一つも匂わさなかったけれど、ある時、酔った帰り道で家族連れとすれ違った際に、子どもを目線で追った彼女がふと、私も欲しかったな、と呟いたのは聞き逃さなかった。
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