喵喵-3

文字数 2,334文字

 ゆったりした心音が聞こえる。シギの身体に血液を送り出している。彼は何処でも生きていけるのに、フユトは此処でしか生きていけない。狡い、と思いながら、シギの背中に回した腕でしがみつく。
「すぐには戻らないから安心していい」
 辛抱強く、フユトをあやしながらシギが言って、髪に頬を寄せた。後ろ髪を梳く五指の感触に浸っていたいのに、フユトの胸中は真冬の海さながらに時化ていて、シギの背中に爪を立てる。
「……やだ」
 ぶすくれて呟くと、
「子どもか」
 呆れたように言いながら、フユトの肩を押し返して引き剥がしたシギが、額にキスをしてくれた。
「三日は時間を取った、一緒にいてやれる」
 キスしたところを指の腹で撫でながら、シギが言う。フユトは俯いたまま答えない。
「これが精一杯だ、悪いが……」
「やだ」
 シギが詫びようとした途端、フユトは拒絶して、更にきつく眉を寄せた。
 もう嫌だ。置いて行くなら殺して欲しい。弱さになんて溺れたくない。回帰するなら死んでしまいたい。
 こつん、と額がぶつかる。不機嫌に上目で見やると、蕩けるほどに甘い顔をしたシギが、
「どうしたい?」
 最大限に甘やかすときの声で譲歩した。
 真正面からシギの顔を見て、愛してると囁くときの表情を確認して、溺れなくていいんだと言われた気になって、そろりと指を伸ばす。
 寂しくなるのも、会いたくなるのも、弱いからじゃない。心の底と言わず、骨の髄から、好きだからだ。溶け合いたいと思うくらいに、好きだと感じているからだ。だから、脅えなくてもいい。
 物語るシギの瞳から目を伏せて、フユトはそっと、シギの上衣の裾を、指先で摘んだ。
「全部、言うこと聞けよ」
 耳まで赤くなりながら、
「俺が満足するまで、全部」
 摘んだ裾を引っ張った。
「わかった」
 縁まで赤くなったフユトの耳元でシギは言って、
「三日、寝かせてやらない」
 不遜に笑った。
 とは言え、何かを強請るのは慣れないし、小っ恥ずかしくて素直に言葉にできない。フユトの内心を見透かすシギは都度、意思を確認するように瞳を覗き込んでくれたけれど、フユトはいつも逸らしてしまう。ソファで戯れのキスをしたときも、浴室で同じバスタブに浸かっただけのときも、寝室で腕枕をされながら微睡んだときも。
「……キス、」
 二人で過ごす二日目が半分終わろうとする頃、フユトは背を向けるシギの腕を引いて繋ぎ止め、気まずく口を開く。
「うん」
 シギは頷くことで先を促す。
「キス、したい」
 シギの目は見られなかった。きっと首まで赤い。駄々を捏ねる子どものようだと自分でも思う。思うけれど、どんな顔でいればいいのか、どんな態度を取ればいいのか、わからないからこうなってしまう。
 この二日、キスなんて飽きるほどしている。触れるだけだったり、啄むようだったり、舌を絡めたり、戯れ方も深さも様々だったけれど、満たされることはない。そこから先には進みたくなかった。この時間が終わってしまうのが嫌だった。
 フユトがそれ以上は進ませないと見るや、シギも潔く引き下がる。額にキスして、慈しむ指で髪や頬や耳に触れ、さり気なく抱き寄せて後ろ髪を梳く。一日半、ずっと同じルーティンだ。
「……すき」
 フユトがぼそっと呟くと、
「知ってる」
 甘い声が答える。
 こんなのに言われたところで嬉しくもないだろうことを、シギは平然と受け止める。子どもでもないのに拗ねて、ごねて、素直にならないフユトに愛想を尽かすこともなく。
 示された期限まで、残り一日半だ。終わりを恐れてズルズル来てしまったけれど、フユトが何をどうしようと、時間だけは待ってくれない。半分が無為に過ぎてしまった。したいことも、して欲しいことも、大半が言えないまま。
 愛してると言って、拒むフユトを強引に暴いて、結腸を挽肉にするくらい激しくされてみたいし、弱火で少しずつ炙られるようにスローなセックスもしてみたい。してみたいけれど、セックスだけじゃない。シギが本を読む傍らで背中を預けて携帯端末を触るのもいいし、膝枕もされてみたいし、兎角、身体の何処かは接していたい。寂しくて会いたかったぶんを埋めるように、ぽっかり空いたままの穴を塞ぐように。
「その気にはならないか」
 俯くフユトの瞳を覗きながら、シギが聞いた。シギだって、それが全てだと思っているわけではないだろうけれど、性的な接触がなかったのは同じだろう。尋ねてしまう気持ちは理解できる。
 フユトは視線を逸らして、
「……だって」
 幼児のようなことを言う。
「だって?」
 シギが伺う。深く、優しい色をした深淵が、フユトを見つめている。
「だって、終わったら、発つんだろ」
 不貞腐れた声で告げるフユトに、シギは一瞬、呆気に取られた顔をして、
「……お前、俺がヤリ捨てするとでも思ってるのか」
 失笑した。
「笑うな、馬鹿」
 反射的に殴ろうとした手首を難なく押さえられ、ムキになって顔を上げると、待ち構えていたシギにキスされる。捩じ込むように唇を割られると、噛み締めて抵抗するつもりだった歯列は自然と開き、シギの舌を受け入れてしまう。
「やだ……ッ」
 壁に背中を押し付けられながら、前戯に進むシギを拒もうとしてみるものの、
「もう聞いてやらない」
 雄の顔をした獰猛なシギに、一笑される。
「やだ、やめろ、本気でヤだから」
 フユトの上衣を捲り、下へ、下へと辿るシギの髪を軽く掴んだ。ぞくぞくするのは感じているからではなく、身体が拒否しているのだと言い訳して、フユトは叫ぶように主張する。脇腹を這いずる舌に息を呑み、こそばゆさに喉を反らして唇を噛むと、腹斜筋を辿って臍下にキスしたシギが、捕食者の目でフユトを見上げ、自らの上唇を潤すように舐めるから。
「やだァ……っ」
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