耽溺パラドクス。-2

文字数 2,566文字

「わるいこ」
 デニムの上からでも熱を帯びているとわかる箇所を握り込まれて、喉が引き攣った。
「好きって言ったらやめてあげるのに、言わないってことはもっとしてってことね?」
 トーカには付いていないからわからないだろうが、急所を人質に取るやり方ほど卑怯なものはない。
 霞む頭の片隅で思いつつ、毅然とした眼差しで見上げてくるトーカの真摯な顔に、ぐらつきそうになる。
「だから休めるところに行きましょうって言ったのに、こんなグズグズの顔じゃ外なんか歩けないわ」
 耳孔を執拗に指先でほじくりながら、空いているほうの指でフユトの下唇をなぞり、その手で口を覆って彼女が唇を重ねる、掌越しのキスをされる。狗の飼い主に配慮したそれに、肉厚のぽってりした唇で触れられたいと思いながら、フユトはぶるりと身体を震わせた。
「ほら、どうするの?」
 そうして、彼女は蜘蛛の糸を垂らす。掴んだ途端に切れてしまいそうな危うげな助け舟を差し出して、屈するものかと藻掻くフユトを挑発する。
「もっとイイコトしてあげるけど」
 そうして、トーカが艶然と笑うのと、フユトの理性が瓦解するのは、ほぼ同時だった。
「すき、」
 言わされながら、フユトが脳裏に描くのはトーカではない。
「みみ、すき、だから……ッ」
 薄い唇で酷薄に嗤う、魔王然とした飼い主の面影。
 冷たい指で翻弄されたい。残酷に見下ろされながら蹂躙されたい。何処までも甘やかす優しい愛撫も好きだけれど、内臓を乱暴に抉る暴力的な愉悦に沈みたい。
 熱中症寸前の動物さながら、短く、荒く息を吐くフユトの左の耳輪を、トーカの熱くて柔い舌先が、ぬるりと舐める。
「いいこ」
 敏感なところばかりを弄ぶ指先が、明確な意志を持って屹立を扱く。燃え上がるような羞恥と恥辱に奥歯を噛み締め、解放の予兆に喉を晒した。
 最悪だ、と、トーカに頭を抱かれながらフユトは思う。先程から、白魚のように綺麗な指が後ろ髪を梳いているけれど、副交感神経優位になった頭では、複雑なことは考えられない。しかし、彼女の手で半ば強制的に達かされた事実は、自慰をしたあとの虚しさを凌駕して、フユトを苛む。
「落ち着いたら行きましょう」
 何処に、なんて聞くまでもないだろう。
 ぽんぽんとあやすように背中を叩かれながら、悪態をつく気力も、彼女を突き飛ばす余力もなく、諦めの境地で頷いている。
 あぁ、シギに殺される。粛清の現場で見るような凄惨さを宿す瞳に見下ろされ、強要された土下座をしても、きっと頭や肩を踏まれて、許されることなどない。連続しての絶頂や気力での耐久なんて生温い罰では済まず、前も後ろも再起不能なまでに追い込まれて、壮絶な死を迎えなければ許されない。
 はぁ、と吐き出した吐息は予想外に熱を帯びていて、フユトは悪い震えを堪えるので精一杯だった。
 一度でいいから、地獄が見たい。
 高級歓楽街近くのファッションホテルは、フユトが知るモーテルのような後ろ暗さのない外観をしていて、安っぽくはあれど、リゾートホテルのような趣きもある。
 沈み込むような余韻から復活したフユトは渋面を崩さず、傍らのトーカとの温度差は歴然としている。文句を言っても良かったのだが、蕩けた顔も痴態も見られた以上、サディストに歯向かうのは良くない。
「お利口ね」
 トーカが適当に選んだ部屋に入った途端、振り向いた彼女は陶然と微笑んだ。どこか恍惚としたような視線を浴びて、フユトの背中が本能的に強ばる。抱いているのは危機感だ。
「……うっせぇ」
 外方を向いたフユトが呟くと、
「好きなことしてあげるから、機嫌直して」
 くらくらするような笑みを浮かべながら、トーカの両掌がフユトの頬を優しく包んだ。
 好きなこと。先ほど言わされたこと。音を上げるまで両耳を甚振られること。
 フユトがぎくりと身体を強ばらせるのを、彼女は愉しそうに笑う。
「す、きじゃねェよ」
「そう?」
 辛うじて反駁すると、トーカはうっとりと微笑みながらフユトの頬を撫でた指で、ふに、と耳たぶを摘んだ。
「試してみましょう」
 トーカが意味深に目を細める。
 逃げられない。
 シギの攻め手はいつだって、フユトが望みやすい逃げ道を用意してくれるから、意図して誘導されたのだとしても、そこに反発を抱いたことはない。選ばされれば選ばされるほど悦くなる、と身体で知っているからこそ、フユトはシギに委ねることができたし、シギもフユトの望みを汲んで叶えてくれる。
 当たり前のことではあるけれど、トーカは違う。
 被虐者を肉体的にも精神的にも追い込んで理性を奪い、不埒で浅ましい肉欲の権化に仕立て上げる。そこに被虐者の意志はいらない。被虐者はひたすら、加虐者のトーカの望みを我が望みと摩り替え、高みに昇る。昇らされる。
 ひ、と喉が鳴った。上擦る悲鳴を恥じ入る余裕も隙もない。
 弄り過ぎると外耳炎になるという理由で耳孔を放棄したトーカは、フユトの反応を見極めながら、ひたすら耳輪や対輪脚の付近を弄ぶ。こそばゆいだけだったはずなのに、そこは今や立派な性感帯と化している。
「気持ちいいのは好き?」
 トーカが囁く。フユトはひたすら頷く。彼女が望むのだから、頷く他ない。
 ベッドルームに入って早々、男の膂力には敵わないからと、後ろ手に親指同士を結束バンドで繋がれて、床に膝立ちにさせられた。結束バンド同様、トーカが持参したのか、ホテルの要らぬサービス品か、アイマスクをされて視界を奪われ、現在に至る。
 時間の感覚は麻痺している。耳だけを攻められてどれくらいになるだろう。そんなことをぼやけた意識で思っていると、硬質で芯を持ったものが、フユトの背中を撫でた。
「いいこにはご褒美をあげる、わるいこにはお仕置きね」
 腰を軽く叩かれる感触からして、トーカが手にしているのはパドル鞭のようだった。それで思い切り肌を張られたことはないものの、スパンキングやピアッシングといった痛みを伴う責め苦は、フユトが苦手とする部類だ。
 思わず緊張したのを見抜かれて、
「いいこにしてれば痛いことはしないわ、痣なんて残したらわたしがあの人に殺されるもの」
 宥めるように囁くトーカが笑う。フユトは半ば自棄になって、彼女が施すだろう責め苦を享受することにした。
 まるで、発火点から他の場所へ付け火されるような心地だった。
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