内密にお願い致します。-5

文字数 2,559文字

 物事には程度というものがあるように、愉悦も度を過ぎると、いろいろなものが崩壊するのかも知れない。
 腰から上は辛うじて原型を保っているものの、腰から下はとうに融け落ちてしまっている。そんな気がする。すっかり馴染んだ楔の熱も、形も、動きも、速さも、フユトの感覚をドロドロに溶解し、時折、訳がわからなくなる。発熱したように吐息は熱く、視界は水の膜で歪み、ふとした動きで落涙する。泣きたくて泣いているわけじゃないのに、酷い有り様を見られているだけでも恥ずかしいのに、シギは蕩けきったフユトに容赦してくれない。好きなところを好きなだけ抉るから、二人の肌も、ベッドも、シーツも、潮だか失禁だか、汗だかローションだかわからないものでグシャグシャだ。
 押し寄せては返す波のような絶頂の感覚は、既にほとんど間がない。ふわふわと漂うように全身を包み、羞恥も五感も、フユトが肌と脳で感じる全てが攪拌され続けている。堕ちているのか、昇っているのかすらわからない。確かなのは、フユトが背筋を撓らせるたび、シギの腕が抱き留めてくれているという感覚だけだ。
 いったいどれだけ、そうしていたかなんて、ふやけた頭では考えられない。ようやく──本当にようやくだ──シギが達した頃には、フユトは脱力しきっていて、遙か遠くまで旅に出て戻ったような疲労を引き摺り、瀬戸際で意識を保っているような状態だった。それでもシギの首に縋り付いて離れないのは、離れがたいのは、独善的な飼い主が、未だ言葉で騙してくれないことにある。
「片付けるから、少し離れてろ」
 苦笑混じりにシギが言うけれど、フユトは無言で首を振った。諭すように後ろ髪を撫でられながら、力の入らない指を鈎型に曲げて、シギの僧帽筋の辺りに軽く爪を立ててみる。
「グズるな」
 痛みを感じにくい彼は、しがみつくような仕草に失笑して、眠気に流されそうで流されないフユトの顔を覗き込むと、
「いいこにしてろ」
 とんでもなく甘い声で、甘い顔で、告げた。
 素面のフユトならば、苦いものでも飲み込んだような顔をして、吐きそうな真似をしたかも知れない。
 無防備なひとり遊びを見られただけでなく、細胞の一つ一つにまで教え込むように甘やかされ、極致を見せられた今は、誰よりも残忍で、狡猾で、姿を模倣するのに人にはなり切れない化け物に、愛されたい、と思う。それはまだ、ほんの一ミクロンの萌芽に過ぎないけれど。
「……ん、」
 見られるこちらが蕩けそうな、甘い眼差しから逃れるように瞼を閉じて、ゆるりと弧を描く薄い唇に、触れるだけのキスをする。その、たった刹那の能動的な出来事にさえ、頬が熱くなる。仕掛けたとはいえ、たじろぐフユトが思わず仰け反ろうとすると、全身の力がくたりと抜けるまで、シギに呼吸を奪われた。

  *

 それは、恋よりも運命的で、愛よりも崇高な激情だ。見えない鎖で雁字搦めにしたいのに、フユトが様々な顔を見せるたび、繋ぐ鎖が一本や二本では足りないことを知らされて、二進も三進もいかなくなっている。
 束の間の安息に見せるあどけない寝顔も、千人斬りの娼婦顔負けの淫蕩さも、直情型ですぐに不貞腐れる横顔も、返り血を浴びた残酷で凄惨な笑みも、全てがフユトなのだ。
 くぅ、と軽い寝息を立てて、フユトが傍らで眠り込んでいる。十二日も掛けた前戯はフユトの本性に突き刺さり、情欲を垂れ流し、持て余した末、シギを受け入れる選択をさせた。相変わらず意固地なところも、こちらの手管に落ちる様子も、傍で見ていて飽きがこない。
 弱みを見せたら、貪欲な本性を知られたら、捨て置かれはしないかと無意識に顔色を伺う、無形の恐怖をよく知る人間特有の目の色は、奔放で自由なフユトには似合わない。だからもっと放埒に、大胆に生きてみろと背中を押すと、たちまち竦む臆病さが愛しい。
 昔から、フユトは自分のプライドや体裁のために、シギには何かと反発して噛み付いて来た。けれど、実際のところ、フユトはシギの微かな表情筋の変化や些細な瞳の動きまで、本当は注意深く観察していたし、手前勝手が許される境界線を見極めんとする洞察は、子飼いの中でも抜きん出ている。
 つまり、試されている。
 お前は勝手に好きだの愛しているだのと宣うけれど、その言葉にも気持ちにも偽りはないのかと、無菌室における品質チェックのように厳重に調べられている。そんなことをしなくても、シギにはフユトを手放す選択肢なぞ端からないのだし、化け物を傅かせていることを鼻にかけて、ふんぞり返っていればいいのに、だ。
 お前も試されてきたから試してしまう。忠誠を試されて何度も誓うのに、フユトの手からするりと逃げ出す誰かの面影が、彼に影を落としている事実。それだけが不快で極まりない。
 大丈夫、安心していい、お前を脅かし続けた未来も、お前を摩耗させるだけだった夜も、二度と来ないから。
 まだ柔らかい質感を残す頬に指の背で触れた。ぴくりと睫毛が震えるから、起こしたのかと思ったものの、フユトはまた、深く寝息を立て始める。あれだけ攻め抜けば、しばらくは起きないだろう。
 頬を撫でた手で、耳にかかる髪を払った。少し小さく、形のいい耳朶をなぞると、フユトが僅かに身じろぐ。長めの髪で隠れるため、他人からも、フユト自身にもほとんど見えない耳殼の真裏、ほんのりフェロモンが漂う場所を、ぢゅっ、と吸い上げて、紅い所有痕を付けてみた。髪を撫でる特権を許された者だけが確認できる、あくまで自己満足のための印だ。
 何度言っても、何度示しても、まだ足りないと強請るなら、信じられないと喚くなら、何かの拍子に気づいたフユトが激昂するだろうところに、わかりやすい痕跡を残してやればいいのかも知れない。シギの執着が本物だと示そうと、フユトに近づく全てを皆殺しにするよりは、平和的な解決方法じゃないかと我ながら思う。そして、痕を見つけたフユトの激昂は、気まずさ故でないことも知っている。
 大丈夫、お前はここにいればいい。痴態も醜態も曝け出し、その全てを蟒蛇のごとく飲み込んでやるから。孤独の底で溺れ続けた子どもが、ようやく泳ぎ着いた寄る辺を確信できるまで、何度だって言い聞かせるし、示し続けてやるから。
 ここがお前の墓場であれ──。



【了】
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