アルタイル-4

文字数 1,282文字

 あの頃はどこか気弱そうだったのに、今やシギには当時の面影など微塵もない。表の顔は紳士然とした好青年を装いながら、傲岸不遜、大胆不敵といった言葉が似合う裏の顔も持ち合わせる。中性的な面立ちを武器に変えて他者を籠絡し、意のままに操る手腕は鮮やかで、何度か刺されそうになったこともあった──もちろん、何れも素人の為す襲撃だったので、シギは相手が腰を抜かして失禁するような脅迫をして、事を収めている──。
 ようやく渋滞を抜けると、街には薄暮の気配が迫っていた。幸いにして、後部座席の雇用主は一刻も早く帰りたいわけではなさそうだから、涼しい横顔のまま、窓の外をぼんやり見ている。どこにも焦点を当てず、中宙をただ眺める様子だけは、十五年前の子どもを思い出してしまう。あの子どもは、そこに、何を見ていたのだろう。後ろにいる青年は、そこに、何を見出しているのだろう。
「明日も予定通りにお迎えに上がります」
 シギが住まうホテルの前に車を横付け、後部座席のドアを開ける。しなやかな動きで降りる雇い主に声を掛けると、彼はそれに目をくれることも頷くこともせず、静かにエントランスへ向かった。
 恭しく出迎えるドアマンの間を抜け、駆け寄るベルボーイにコートと手荷物を渡す背中は、そうあるべき地位に立つ人間のそれだ。この世界にいるのが場違いであるかのように佇んでいた少年は、もうどこにもいない。それ自体は嬉しいことだが、あの頃を知っているオオワシは、どことなく寂しくも思う。
 捻挫したのを言い出さず気づかずに足首を酷く腫らしたことがあった。さり気なく伸ばした手にビクつかれたことがあった。長い夜を眠らずに揺蕩う横顔があった。絶望と失望を知り尽くした瞳に力など戻らないと思ったこともあった。不意に甘えるように、服の裾を掴まれて引き止められたことがあった。食が細かったのに、脂が滴る肉を一キロ、平然と平らげるようになった。聞き間違えて覚えた名前を呼ばれるようになった。先代を殺して地位を手に入れた途端、腕に彫った墨を咎めると、似合うだろうと不敵に嗤われた。
 十五年だ。いろいろなことがあった。少年は強く逞しくなったし、オオワシは老いた。全てを得られず、尊厳ばかり奪われた少年は、もう何処にもいない。森羅万象、万物の流転を睥睨する、罰当たりなほどに尊大な支配者がいる。
 エントランスの奥へ消えていく背中を追うように、一つの影がドアマンの横をすり抜けた。孤高の背中に駆け寄り、気安く肩に手をかける影に、シギが振り向く。鉄面皮を纏うシギの目が、口元が、穏やかに緩む。
 シギがそんな顔をするのは、彼よりほんの少しだけ上背のある、褐色の髪の青年だ。ストリート上がりの孤児で、シギが唯一、自ら手元に置きたがる貴重な存在でもある。
 あの少年はもはや孤独ではない。彼が自ら望んで手に入れた最愛が傍にいる。じきに、老いたオオワシは役目を終えて、今の立場を辞さなければならない。その時、悪たれ小僧のような雰囲気の青年が引き継いでくれたら、あの少年だったシギに思い残すことは何一つない。
 巣立ちは、もうそこだ。




 【了】

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み