Gemini-6

文字数 2,387文字

 それでも、シギの許しは遠い。
 熱を引き摺る身体を無理やり動かしてシャワーを浴びながら浴槽を溜める。準備ができたら呼べと命じたシギは傍にいない。
 下肢の状態は案の定だった。ドロドロのベタベタで、過ぎる快感のせいか半勃ち以下の屹立は程なく萎えた。この状態で服の上から揉み込まれなかったのが不幸中の幸いだろう。下着が駄目になったことなら何度もあるので気にしていないが、着るものがなくなったら途方に暮れるところだった。
 こつん、と額を浴室の壁にぶつける。
 嵐の夜の偶然の邂逅以来、思われ続けていただなんて、不思議な心地だ。本当なら、シギの異様な執着は気味悪がらなければならないだろうし、不快だと撥ねつけるべきなのだろう。親を殺しておいて、不遇な環境に追いやっておいて、どの口が言うんだと怒るべきなのだろう。
 けれど、最初からシギの中には自分しか居なかったのだと知らされて、フユトは素直に安堵している。シュントではなく、自分が選ばれていたことに、幸福感を見い出している。
 親のことを覚えていないから、そうなのかも知れない。シュントは少しでも母のことを覚えているだろうか。次に会うことがあったら、聞いてみたい気がした。
 大人の、それもそこそこ体格のある男二人で入るには窮屈なバスタブで、逆上せるまで戯れが続く。擽られて、時に抓られて、何をされても、何もされなくても気持ちいい。
「キス、キスしたい……」
 背中から抱き込まれながら、まだ一度も交わしていない唇を求めてみた。ここまでグズグズに蕩けてしまったら、甘えて駄々を捏ねることにも抵抗がなくなる。
 内腿に軽く爪を立てられて、引っ掻くようになぞり上げられた。指の痕が赤く残り、少し時間を置いて、元の肌色に戻っていく。たったそれだけの刺激にも、フユトはビクビクと敏感に跳ねて喉を晒した。愉悦が糸を引きながら去るのを待って、
「キス、」
 性懲りもなく、譫言のように呟いて願う。
「お前とは二度としない」
 欲情を感じない凍てついた声に断言されて、思わず、腹斜筋を撫でる手を掴んでしまった。
「やだ」
 今にも泣き出しそうな声だと我ながら思う。シギにしか聞かせたことがない、子供のような言い草だ。こうしてぶすくれて俯くと、シギはいつも困ったように笑いながら頬や顎を撫でてくれるから、心地好さを求めるときの癖になってしまった。
「やだ、じゃない」
 シギの声は冷めきっていて、欲しい仕草までが遠い。
「お前が隠れてシュントと会うから悪いんだろ、俺なんかよりシュントのほうがいいんだと思ったから、……」
 掴んだ手に容赦なく爪を立てて喚いてから、フユトはぴたりと口を噤む。
「俺がいつ、シュントがいいと言った?」
 爪を立てた手を剥がされ、握り返された。苦しいくらいの力を伴い、腰を抱かれる。
 口が滑った。浮気については素直に詫びるつもりだし、言い訳はしないと決めていたのに、こうして責任転嫁してしまう。あんなことがなければ間違いなく過ちは犯さなかったけれども、フユトはもともと、寂しさや不安を紛らわすのは上手くない。抱え込んでしまうほうだから、突発的なことで動揺し、自分を取り戻すのに道を違える悪癖があるのだと、シギから散々、遠回しに言われていたことを思い出した。
 そうだ。シギは何も言っていない。勝手に疑って思い込んだのはフユトだ。おもしろくないと浮気に走ったのもフユトの意志だ。シギからは何もされなかったし、何も言われなかった。誤解するようなことをしたにしても、弁解を聞かなかったのはフユトで、シギの本心は最初からブレていない。
 俯くばかりのフユトに、
「……愛してる」
 蜜を孕む声でシギが言った。狂気と猟奇を飼い慣らす化け物からの寵愛は、死ぬほど重く、簡単には抜けない棘となって突き刺さる。
 その言葉はきっと、一般的な男女の恋愛に於いて囁かれる睦言とは、意味も重みもニュアンスも違うのだろう。何もかもを諦めて、何もかもに期待しないシギが唯一、フユトにだけは振り向いてくれる。フユトの声だけは聞いてくれる。
「……うん」
 腰を抱かれる強さを受け入れて、フユトは頷くに留めた。
 その少年は泣いていた。眼球を失って腹を切り裂かれた遺骸を前に、まるで実の母を殺したような面持ちで、自分が泣いていることにも気づかずに泣いていた。横顔に宿る後悔と、その肩に伸し掛る罪悪感を見て取って、子どもは口を開いた。おにいちゃん、と少年を呼んで、どうして泣いてるの、と手を伸ばして、膝から崩れ落ちて慟哭する少年に抱き締められながら、さめざめと泣く自分に母がしてくれたように、いい子、と髪を撫でた。
 目が覚めた。
「……シギ、」
 背中から腰を抱く傍らの熱に声を掛ける。
「起きてる?」
 腕の中でゆっくりと身体を反転させて、目を閉じたまま答えないシギの唇の端にキスをした。
「ぅ、ンっ」
 途端、噛み付くようなキスに唇を塞がれて、舌を入れられる。ぬるりと上蓋を舐められて、背筋が粟立つ。
 夕べは甘イキのし過ぎでフユトの体力が底を尽き、湯船で気絶しかけたので本番はしていない。半端に熱された身体は一眠りした程度じゃ治まらず、熟睡するフユトに添い寝してくれていたシギへと仕掛けてみたら、思いの外、熱烈に反撃された。
「……救えないな」
 仰向けに身体を返されたフユトが息を整えていると、覆い被さる形のシギが自嘲するように言うので視線を合わせる。
「俺も、お前も」
 人語を話す獣の目をするシギに、フユトも自嘲してみた。
「いいんだよ、それで」
 ややこしい話は抜きだ。二人の肌が合い、どうしようもなく惹かれてしまう以上、それが正しい。誰が何と言おうと、変わらぬ事実だけがあればいい。生まれてきてしまったことを嘆く少年をフユトが赦したように、際限のない不安と孤独の底で溺れるフユトをシギがいつだって拾い上げてくれれば。
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