Am I "beutiful"?-1

文字数 2,309文字

 透明に凍てつく夜気を、鋭い音が割った。
 熱い礫に腿を抜かれて倒れ込む。足の先はじんと痺れ、傷口はまだ熱い。吐息は白く凍るのに、そこだけ燃えているようだ。
「運が悪かったな」
 同じく白い息を吐きながら、猟犬が余裕の歩みで近づいてくる。その右手には、艶消しされた拳銃が一丁、握られている。
 金で飼われる忠実な狗、それが、彼らが猟犬(ハウンド)と呼ばれる理由だ。猟師に成り代わって確実に獲物を仕留める、金に躾けられた忠実な下僕(しもべ)
 猟犬は本来、端金では動かない。最低でも百万が依頼料の相場だと聞く。しかし中には、持たざる者が掻き集めた、なけなしの小銭で動く、根っからの殺人狂もいると聞いたことがある。目の前に迫る男は恐らく、後者だ。
 冷たく乾いた風が吹いた。空に垂れ込める雲が流れ、一時的に月が顔を出す。空きテナントの多いビル群が犇めく路地裏で、刹那の月光が、猟犬の瞳に凄絶な光を宿す。
 血に飢えたケダモノの目。金のためじゃなく、狩りを純粋に愉しむ目。凄惨で猟奇的な鬼の目。
 刹那の光は再び雲に遮られた。撃たれた足を引きずって、闇に戻った路地を這う這うの体で進む。二度目の銃声が夜を割り、左膝から頽れるように(まろ)ぶ。
「まだるっこしいの嫌いなんだよ」
 猟犬が、心底から面倒臭そうに溜息をついた。硝煙が残る銃口を下に向け、気だるげに前髪を掻き上げる。再び顕われた月明かりに照らされる髪色は褐色。また闇が訪れる。
 遂に追い詰められて逃げ場を失った獲物に、猟犬は、悪鬼の如く口角を吊り上げた。
「お前は生かしちゃおかねェけど、殺すなって言われてンだよな」
 昂奮を伴う哄笑と共に、吐息が白く舞う。三度、顕われた月明かりに、ナイフの鈍色が煌めいた。

  *

 臓物のごった煮。
 そんなイメージがよく似合う、清潔感もムードの欠片もない、アングラな店だった。主人は一応、喫茶を気取っているらしかったが、店構えも店内も、何処からどう見たって潰れて久しいのに買い手がつかない、売店舗の様相だ。
 スラムにほど近い、場末もいいところの歓楽街の外れだ。普段、出入りする歓楽街とはクラブも風俗店も雲泥の差。法外なレートの裏賭博だけが、この街の唯一の魅力と言ってもいい。
 うらぶれた喫茶店の隅、ボックス席の壁際の椅子に座っているのは、泣き腫らした目の女だった。歳の頃は若く見ても三十過ぎ、もしかすると四十近い年増だ。
「……一緒になろうって、言ってくれたんです」
 鼻声の女が言った。いったいどれだけ泣けば気が済むのかと、相対するこちらがげんなりするほど、彼女は一頻り泣いて、気を取り直すことを繰り返している。
「本気だから信じてくれって言われて、ちゃんとしたデートもして、卒業するのに必要だから売上にも協力してくれってお願いされて」
 ただでさえ女は感情的で苦手なのに、こういう手合いは、フユトが最も不得意な人種だ。悲劇のヒロイン症候群とでも言うのだろうか、自分には全く落ち度がないと言わんばかりに同情を乞う、がめつい女。
「言われた通りに協力したのに、あたしのお金が尽きたら見向きもしてくれなくなって」
 言いながら、女はまたポロポロと泣き始めた。
 さっきから何を当たり前のことをほざいているのかと、フユトの表情は呆れや胡乱を通り越して死んでいる。
「それが彼の仕事だからと思って、他の女とやり取りするのも食事に行くのも、枕するのにホテルに行くのも許してたのに、あいつは、あいつは……!」
 金を貢がせるのが仕事の男に騙されたお前が全て悪い、本気になったお前が悪いと、何度も言いかけて飲み込んだ。依頼に繋がる身の上話だからと、短気を堪えているものの、そろそろ限界が来そうだ。
 痘痕も笑窪とは言うものの、僻みっぽい上に愛嬌なし、肌は乾燥して粉を吹き、髪を梳かした様子もなく、着ているものは経年劣化の激しい一張羅と来れば、これと本気で一緒になりたいという奇特な人間が見てみたいと思う。
 仕方ない、ここは格安店が軒を連ねる、場末の歓楽街だ。フユトが見慣れた煌びやかさや質を期待するほうが間違っている。
「……それで?」
 女が何度目かに泣き喚き、落ち着くのを待って、これ以上は時間の無駄とばかりに、フユトは依頼を促した。かれこれ二時間、同じような中身の話をぐだぐだと続け、その男は大丈夫だ、きっとお前に本気だから信じて頑張れ、とでも言って欲しそうな顔をする、頭の弱い女には付き合いきれない。
「彼をあたしだけのモノにしたいの」
 大きく溜息をつきたい気分だったフユトは、頬杖をついたまま、興味深く女を見た。あそこまで散々、愚痴を連ねていたのだし、この手の話は逆恨みによる殺害案件が多いので、今回もそれだと見込んでいたのだけれど。
 殺しが好きだ。荒事も好きだ。中でも最も好むのは、力を遺憾無く発揮できる傷害致死だ。
 瞳孔と全身の毛穴が開いて、フユトを昂奮の坩堝に落とす。
「方法は……?」
 フユトがあまりに陰惨で、獰猛な笑みを浮かべたためだろうか。目の前の女は僅かに怯え、恐ろしい依頼をしようとしている自分にたじろぎ、視線を泳がせた。
「……あたしが彼を養ってあげるの、一緒になるの」
 けれど、覚悟を決めたのだろう。充血した瞳を見開き、強い口調で告げる。
「前金で三十」
 一般人にはとても見せられない顔をしていると自覚しながら、フユトは表情を立て直すことも忘れ、女に言った。
「成功報酬はそっちの言い値でいい」
 つまり、依頼料は三十万ということだ。
 殺害ならミリオン、暗殺や狙撃ならビリオンを稼ぐフユトにとっては破格も破格。しかし、条件はこの上なく良好な依頼である。
 腹を括るためか、女が喉を鳴らした。
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